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オープンマインド・ヒューマンネットワーク論 その1

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

人間と人間とのコミュニケーションの始まり

  1.<ことば>コミュニケーション
<ことば>は、人間のコミュニケーションを高速化した。

たとえば、私が考えたことや、思っていることや、感じたことを、誰かに伝えようとするとき、いちばん確実に伝わる方法は、その方法が可能か不可能かは別にして、テレパシーであることは間違いない。そこには<ことば>も文字も絵も、いわゆる目に見えるカタチでの媒体は介在していない。伝えたいという気持ちがそのまま何の意図もなく、テレパシー波にのって相手に伝わっていく事実だけがある。

しかし残念ながら、私たち人間は、そのようなテレパシーというコミュニケーションの手段を、誰もが自由に使える、あたりまえの能力として見いだしていない。かつて、人間が文字を使うという能力を見いだしていなかったときに使われたコミュニケーションの手段は<ことば>であった。<ことば>は、アーとか、イーとか、ウーとかいった感情のたかまりによって生まれたものであることは、疑いの余地がない。火山が爆発して火を吹く現象を見て驚き、嵐が吹き荒れる様子を見て驚き、地平線の彼方まで広がる海を見て驚き、さらには、子供を出産する神秘に畏れ、死を迎える瞬間に嘆き悲しみ、春を迎えた大地から一斉に草花が芽吹く様に感激し、それらの驚きや嘆きや感激を<ことば>に置き換え、誰かに伝えていたのに違いない。

<ことば>を聞くときに、目を閉じてじっと耳を傾けると、そこには<ことば>を発している人が伝えたいとする情景や背景が浮かんでくるという事実は、<ことば>の発生の起源が自然界や人間社会のさまざまな現象を、視覚や聴覚や嗅覚などの五感で捉えたこととして、<ことば>に置き換えたからに違いないという推測を裏付けしているといえる。<ことば>と<ことば>でコミュニケーションをするということは、そこに存在している現象に<ことば>というパラメーターをかけて命名化していくことである。

たとえば、真っ赤に燃えている状態を「ひ」という<ことば>に置き換えるとする。ひとたび、この<ことば>の置き換えの決まりがある人間社会で定着すると、「ひ」は“真っ赤に燃えるさまである”というコミュニケーションの省略化と簡易化と高速化が同時に行われる。しかし、<ことば>によるコミュニケーションの限界は、伝わる距離と、伝えられる量と、伝えることができる人間の数と、そして伝え、残していくための保存の限界でもあった。<ことば>のみでのコミュニケーションは、歩いたり走ったりを交通機関としていた、声が届く範囲で暮らしている人間社会で有効な方法であった。

もちろん、この根拠に異論があることも充分に認識している。馬を最良の交通機関としていた騎馬民族のスキタイ人が、西はカスピ海から東は黒竜江まで、距離にして何千km以上の、当時としてはコミュニケーションが困難な広大な地域において、ほぼ同時期に同一の文化や文明を繁栄させていたという遺跡発掘の事実をどのように説明するかと問われれば、それは、なにか別の種類のコミュニケーション手段があったに違いないと仮定するしかない。

しかし、このレポートにおけるコミュニケーションの意味と目的と価値のヒモ解きは、ハイゼンベルグの<ことば>を借りるわけではないが、あくまで、このレポートの作者である“私が問いかけた方法に対して姿を表した現象(自然)をもとにしている”ことを、ご了解いただきたい。

さて、話は少し横道に逸れたが、歩いたり走ったりを唯一の交通機関としていた人間社会が繁栄し、人口が増え、やがて人間の足以外の、たとえば馬などを交通機関として頻繁に利用するようになると、そのコミュニケーション範囲は格段に広がる。2~3日の距離なら、なんとか覚えておくことができた量の<ことば>も、1ヶ月以上の距離になると忘れてしまう。<ことば>とは違う、記憶する必要のないコミュニケーション手段の発明が望まれたはずである。当然、<ことば>という表現手段によってあらわされ、使われていたさまざまな自然界や人間社会の伝えごとも、その種類と量が増えるにしたがって、なんらかのカタチで残しておかなければならない。子孫に伝えなければならない、という望みも同時に発生していたはずである。

しかし、ここで明確にしておかなければならないのは、<ことば>だけによるコミュニケーションは、人間と人間が顔をつきあわせてはじめて成立するコミュニケーションである。常に、相手の体温を感じながらやりとりするコミュニケーションである。わからなければ、何回も繰り返して聞くことができるし、たとえ誤解が発生しても、相手の顔の表情や目の動きの判断で、決定的な破局は迎えることは少なかったに違いない。さらに、<ことば>そのものは、現象である事実を描写した記号でしかない。事実は事実として伝わり、情報量もきわめて僅かであるにもかかわらず、そこには事実を結果的に歪曲してしまう思惑とか、意図とかといったものが割り込む余地のない、心と心でやりとりができるコミュニケーション手段であったはずである。

人間と人間が会いたときに、いつでも自由に会って、<ことば>を故意に操ることなく、問われれば答え、答えれば問う。そのカタチとシクミこそが、オープンマインド・ヒューマンネットワークの原型なのである。しかし、現実はオープンマインド・ネットワークの意識や認識は一度としてなされないままに、文字という新しいコミュニケーション手段を、人間社会の中に取り込んでしまったのである。その結果が今日、西暦2020年の、私たちの社会の至るところで、コミュニケーションがコミュニケーションとしての意味と目的と価値を見いだせないでいるという深刻な問題を引き起こしてしまった引き金であったとは、いったい誰が想像しえたであろうか?(つづく)

その2に続く→

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等

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