ボグダン・パルホメンコ

ウクライナ生まれ、日本で育ったバイリンガルのボグダンと申します。現在キエフ在中です。日…

ボグダン・パルホメンコ

ウクライナ生まれ、日本で育ったバイリンガルのボグダンと申します。現在キエフ在中です。日本の皆様に分かりやすく、ウクライナの現状や歴史、皆が抱えている不安や懸念、今後の動向を現地からお伝えしていきます。

最近の記事

どんな風に伝えればいいのか?〜中学生との対話 後編

Fさん: 今のメディアは偏った報道をしてしまっているけれど 報道する人たちは両面から伝えることが必要で そのメディアを見てる人が判断できるようにするということですけれど バランスを取るのって難しいですね。 ボグダン: 僕はマクドナルドのポテトが大好きなんですけれど笑。 マクドナルドポテトばっかり食べていたら、絶対体によくないじゃないですか。 じゃあ逆に、新鮮な野菜ばっかり食べたらいいのかっていうと それはそれでまた違うじゃないですか。 ちゃんとタンパク質も摂らないといけな

    • どんな風に伝えればいいのか?〜中学生との対話 前編

      ボグダン: 初めましてウクライナのパルホメンコ・ボグダンです。 よろしくお願いします。 Fさん: はじめまして。Fと申します。 よろしくお願いします。 ウクライナのことについてはもちろんなんですが 今日はまず、メディアのことについて聞きたいと思っていました。 たくさんのメディアにボグダンさんが出演されていて 色んな話をしてくれているじゃないですか。 ニュースキャスターや記者の方にいろんなことを聞かれると思うんですが。 ツイッターなどを見ていても、ウクライナのことにつ

      • 僕のおじいちゃん、ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・パルホメンコのこれまでのあゆみ。

        【経歴】 ・ドニプロ化学技術研究大学院卒業 ・ザポリージャ変圧器工場でエンジニアとして従事 ・ドニプロ、メタルルグアトマティカ工場で設計エンジニアとして従事 ・ドニプロ化学技術研究大学で助教授、准教授、  プロセス・デバイス部門長、学部長、所長として従事。 ・ウクライナ教育大臣(1984-1991) ・ウクライナ技術科学アカデミー創設者 ・ウクライナ教育副大臣(1996〜1997) ・ウクライナ科学技術センター所長(1997〜2007年) ・ウクライナ技術科学アカデミー第一副

        • Hi, I’m Bogdan Parhomenko! - “Interview with my grandfather” 2

          Bogdan: After the great east Japan earthquake (often also referred as 3.11), the word “Kizuna”, or “Bond” seems to be used more frequently than ever. The great earthquake made us face the reality that we may lose our beloved ones out of th

        どんな風に伝えればいいのか?〜中学生との対話 後編

          Hi, I’m Bogdan Parhomenko! - “Interview with my grandfather”

          Bogdan: Today my grandfather is joining us to share his stories with us. This is my grandpa, Vladimir.It’s March 11th, so we want to focus more on the “family bond”, instead of Ukraine. He is a scientist and he was a representative of Ukra

          Hi, I’m Bogdan Parhomenko! - “Interview with my grandfather”

          ゼレンスキー大統領・日本国会演説を翻訳しました。

          細田衆議院議長!山東参院議長!岸田総理! ウクライナの大統領として、史上初めて日本の国会でお話できることを大変光栄に思います。 東京とキエフは8193キロメートルの距離があります。この距離は、飛行機で移動すると平均で15時間程度かかります。もちろんルートによって異なりますが。しかし私たちが自由を感じる気持ちについて、お互いの距離はどのくらいあるでしょうか。生きたいという願う私たちの距離は?平和を望むことについての距離は。 2月24日、私たちは日本との距離を1ミリも感じませ

          ゼレンスキー大統領・日本国会演説を翻訳しました。

          僕のこれまでのあゆみ。

          【これまでの歩み。】 ・1986年 ウクライナのドネプロというところで生まれました。 チェルノブイリ原子力発電所で起きた事故の直後、キエフから逃れた母が汚染の少ないドネプロで僕を出産しました。 ・1990年  ソ連から母親と日本の神戸に移り住む。 母親は神戸大学で研究職についていました。ソ連崩壊時に母親が離婚。シングルマザーとして僕を育ててくれました。 ・1991年、ソ連崩壊後は、母親と共に日本に残る。 ・1995年、阪神淡路大震災を神戸の東灘で経験。 その後大

          僕のこれまでのあゆみ。

          YouTubeLive『ゼレンスキー大統領の国会演説をキエフ市民はどう聴いたか?』配信のお知らせ。

          日本の皆様、こんばんわ。ボグダンです。 明日3月23日(木)18時から、ゼレンスキー大統領の日本国会での演説が行われます。ウクライナで生まれ日本で育った僕が、戦争を2度経験したおじいちゃんと一緒にゼレンスキー大統領の演説を僕のYouTubeのチャンネル「BOGDAN in Ukraine」で解説します。 ライブ配信は3月23日(木)22時から。 チャンネルのコメント欄に皆さんが気になること、知りたいことをどんどん書き込んでいただけたら、できるだけお答えしていきます。 外出禁止

          YouTubeLive『ゼレンスキー大統領の国会演説をキエフ市民はどう聴いたか?』配信のお知らせ。

          はじめまして、ボグダン・パルホメンコです。〜「ぼくのおじいちゃんのこと」後編〜

          ボグダン: 日本では、東日本大震災以降、「絆」ということばがつかわれるようになりました。震災は、愛する家族がいつ亡くなるかわからないという現実を私たちに突きつけました。 おじいちゃんは、家族の「絆」をどのように考え、日々、過ごしていますか? ウラジミール: 1995年の神戸の震災以降、私たちの家族には日本人の知り合いが増えました。私の奥さんはその人たちに会いに日本に7、8回行ったし、日本からウクライナを訪れた人もたくさんいました。 その時に、ホテルに泊まった人もいたけど

          はじめまして、ボグダン・パルホメンコです。〜「ぼくのおじいちゃんのこと」後編〜

          はじめまして、ボグダン・パルホメンコです。〜「ぼくのおじいちゃんのこと」前編〜

          ボグダン: 今日はおじいちゃんに話をしてもらいます。ぼくのおじいちゃんのウラジミールです。 今日は3月11日だから、ウクライナのことっていうよりも「家族の絆」っていうことでおじいちゃんと話したいと思います。 おじいちゃんはもともと科学者で、ソ連が崩壊する直前、1990年ごろに、国連のウクライナ代表を務めていました。ウクライナの教育大臣もやりました。専門分野はプラズマに関する研究で、たくさんの大事な発明をして特許も持っています。彼が開発した技術は日本の電機メーカーでもたくさ

          はじめまして、ボグダン・パルホメンコです。〜「ぼくのおじいちゃんのこと」前編〜