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どんな風に伝えればいいのか?〜中学生との対話 前編

3月のある日、中学生3年生の男の子Fさんから一通のメールをもらいました。

こんにちは、東京都の学校に通う中学3年生のFです。今ウクライナが侵攻されている中で自分で何かできることはないか個人で調べています。そこでそれらのことについて詳しく知りたいと思いボグダンさんに話を聞きたいと思いました。
取材内容: ウクライナ侵攻について現地の人が考えていること
お忙しい中、唐突で誠に申し訳ございませんが、ご検討いただければ幸いです。

ウクライナに関心を持ち、メールを送ってくれたことが嬉しくてお話をすることになりました。その時の模様前編をお届けします。

ボグダン:
初めましてウクライナのパルホメンコ・ボグダンです。
よろしくお願いします。

Fさん:
はじめまして。Fと申します。
よろしくお願いします。

ウクライナのことについてはもちろんなんですが
今日はまず、メディアのことについて聞きたいと思っていました。

たくさんのメディアにボグダンさんが出演されていて
色んな話をしてくれているじゃないですか。

ニュースキャスターや記者の方にいろんなことを聞かれると思うんですが。

ツイッターなどを見ていても、ウクライナのことについて
こういう風に報道すべきではないという意見があったり。
例えば、首都のキエフ・キーウという呼び方の問題についてなど
お話しをされいた時があったじゃないですか。

今、そういう議論をしている時間は正直ないのではないかとも思うんですが
現時点で報道に対して不安なことや、不満を感じていることがあったりしますか?

ボグダン:
昨日、ゼレンスキー大統領の国内に向けたスピーチがあって。
ウクライナの国歌「ウクライナは滅びず」という日本で言うと「君が代」のような歌があるんだけれど。
国歌のあの部分の歌詞を変えたいよねみたいな話が、国会議員から上がっていたんですね。

大統領がそれに対して珍しく反応していて。
今この戦争で、国民は毎日普通の生活ができないていない状況の中で
歌詞を変える変えないとか、そういう話を議題に上げる
議員の考え方そのものが理解できないということを話していたんですね。

僕が生まれた当時のウクライナはまだソ連という国で。
ソ連という時代が続いている時に
日本に移り住んで中学生までを過ごしていたんだけど。
ソ連という時代にはみんなロシア語を話していたわけです。

1991年の8月24日にウクライナがソ連から独立をしてもしばらくは
みんなロシア語を話していて、ここ10年〜15年ぐらいでウクライナ語が国内でぐっと広まったんだけど僕の中では生まれてからキエフは「キーウ」というよりもキエフっていう感覚で。

今、都市の名前だったり
いろんなことが変わっていっているんだけれど
非常事態の時に、そういうのを変えるのは
僕はあまりよくないと思う。
そういう事は現地にとって新しい混乱しか生まないから
落ち着いたタイミングでやるべき事かなと感じる。

どんなことでも
それをやるときのタイミングみたいなものがあって。

例えば、地震や洪水が起きているタイミングで
家の掃除をしても、あまり意味がないですよね。

それと同じことで
今やるべきこととやらない方がいいことっていうのが
明確にあると思う。

僕らは自分たちの命を守るため
「伝える」という行動をしているんだけれど
メディアの方たちは、そういう路線とは少し違うよね。

どちらかというと
自分たちのビジネスとしての報道をやっているから
必然と報道の仕方も変わってくる

これは立っている場所の違いって言えばいいのかな。

ちなみにFくんは何かスポーツをやってる?

Fさん:
えーと、サッカーをやってます。

ボグダン:
それだったら、サッカー部員じゃないと分からないことっていうのがきっとあるよね。
パスの出し方とかドリブルの仕方とか。
こういうアシストがあるから、こういうゴールに結びつくとか。

僕も日本にいれば、
みんなと同じ気持ちになるんだろうけれど
今は戦火のウクライナにいるから
日本の方と立っている場所は違うし、全てのことにおいて温度差も感じる。
それに価値観や見方が違うから、どうやって伝えるか
毎回苦労している部分があります。

Fさん:
日本のニュースキャスターの人に
「この状況の中で、ボグダンさんは
 なぜ逃げずにキエフに残っているのですか」
という質問をされることもあると思うんですけれど、
そういう時もすぐ怒るのではなくて
しょうがないことだという風に捉えているということでしょうか。

ボグダン:
はい。怒ったところで何も変わらないから。
それに立っている位置が違うので、考え方・捉え方に違いが出る事は
しょうがないことだと思っています。

例えばFくんが
サッカーで違うチームと対戦するとするじゃないですか。
その時に、怪我するかもしれないから
その試合に出るのをやめたら?って誰かに言われても出場しますよね。

Fさん:
プレイしないとサッカー自体が存続しないから。

ボグダン:
それと同じで、僕らは「勝ちたい」という気持ちがあるんです。
今までずっと頑張ってきたから。

それに試合に負ければ、自分達の国がなくなるかもしれない。
そのことが大きな意味を持っています。

だから「逃げないんですか?」という質問は
僕らにとって、ウクライナを捨てると言う選択に繋がるわけです。

なので僕は戦争というゲームに参加して
自分のチームであるウクライナを守るために行動したい。

そして色々なポジションがあるけど
今の僕の大切な役割は、ウクライナというチームの状態を伝えることだと思っています。

だから僕は逃げなかったし、
この四十日間戦争は続いているけれど
やっと少し落ち着いてきた。
結局、僕は自分で正しい判断をしたのだと思っています。

Fさん:
では、今までメディアに出てきて
ここをこんな風に変えてほしいと思うところってありますか?

ボグダン:
メディアの使命というのは、
あるひとつの立場ともうひとつの立場の
両方からある物事を見せて、
最終的にそれを見た人が自分で判断できるようにするためのツール
だと思うんです。

でも今のメディアの対応を見ていると
あるひとつの立場からしかその物事を見せていない。

ひとつの立場からしか物事を見せないとすると
どうしてもひとつの状況しか理解することができない。

だからメディアには、いろんな角度から物事を見せる義務が
あると感じます。

戦争のような大きな出来事には、
辿っていくと必ずそれが起きた理由があるんです。
戦争を起こす理由を作った人々の考え方というものがある。

僕はその考え方自体を変えたいと思っている。

例えばタバコ吸ってる人やお酒飲んでる人は不健康になるでしょう。
それをそのまま放っておいたら、大きい確率で病気になる。

戦争っていうのは「病気」と同じなんです。

不健康な状態が続いて病気になる。

なってしまった病気を治すことも大切なんだけれど
その不健康な状態を作った体と心のメンテナンスをしないといけない。

今回のこの戦争というのは、
もともと有った不健康な考え方が戦争という病気を作っている状態なんだと思う。

僕はその病気の原因を作っている根本的考え方、
病気になるそもそもの生活のスタイルを変えたいなと思っている。

世界で起きる戦争の全ての原因は、考え方と価値観にある。

考え方と価値観を変えることができなければ、
今回の戦争が終わったとしても
また違う国で同じことが起きてしまう。

だからこの戦争が最後になるには抜本的に全ての
考え方・価値観を変えないと駄目だと僕は思ってる。

今西側の国々で報道されていることって
アメリカ側の見方やロシア側の見方で構成されている。

ウクライナで起きている事なら、ウクライナからの
考え方や見方がないと明らかにおかしい。

元々ロシアとウクライナは同じソ連と言う国だったから
ある程度はロシアからの発言が重視される傾向は
仕方がなかったかもしれないけど、ロシアが明らかに
悪である事が分かった今、それを変えないといけない。

じゃないと、メディアのバランスが
どんどんおかしなことになってしまうし
多くの人々が洗脳され、空想で生活する事になる。

その空想の生活を続けてきたロシア国民が今回の
戦争を自分達の政府に許可してしまったよね。

それにその空想が他国にも浸透して、その架空のロシアの情報を
信じてしまった外国の存在がある。

今僕のやってる活動っていうのは、
ウクライナ人の考え方やウクライナからの見方をずっと伝えている。
今日で戦争四十日目なんだけれど
その間僕はずっと休まずテレビに出て
ウクライナ人の考え方や見方を伝えてきた。

そうすることで
ウクライナ人の考え方やウクライナからの見方を
日本の人たちにも見てもらえる。感じてもらえる。そして考えてもらえる。

日本はロシアのお隣さんだから、ウクライナの次に気を付ける
必要があると思うんです。

ただ僕一人の気持ちを伝えてるのではなく、
ウクライナ人のみんなの気持ちを代弁するつもりで伝えている。
インターネットがあることによって、
世界中にその情報を届けることができる。
共有してもらえる。

こうやって伝え続けるのは、同じような状況の国を
これ以上増やしたくないから。

地震にしても津波にしても火山にしても
天変地異の災害は、地球自体が起こしていることですよね。

でも今起きてることは、
人が引き起こしていること。

つまり明日にでも、この戦争を終わらせる事が出来る。

人間のおかしな考え方、行動によって
街が壊されていく。

山積した瓦礫やゴミを片付けよう、綺麗にしようとする人の
そもそもの考え方がないと
壊された汚れた状態のまま、街は変わらない。

僕は情報を発信することによって
みんなの考え方を変えたいなと思っている。

Fさん:
日本のメディアは
例えばひとつの事実を両面から見せるということでななく
片方だけからしか写していないということですか?

ボグダン:
日本のメディアだけでなく、世界のメディアに共通する事ですが
その傾向がとても強いと感じます。

Fさん:
メディアが両面から物事を写せるようになるためには
どうするべきだと思いますか?

ボグダン:
メディアで働いてる人が
自分の考え方をまず見つめ直すことが重要だと思う。

損得で考えるのではなく、
プライドとポリシーを持って
自分の考える正しいことや平等なこととはどんなことか。
そこで見つけた新しい価値観に基づいて仕事をするという
スタイルの確立が必要だと思います。

例えば自分たちが得をするために
視聴率を取るために
ビュー数を稼ぐために
騒ぎ立てる方法をとっているのだろうけれど、
そうではなくて戦争を終えるために
他の国で同じ過ちが繰り返されないために
みんなが考えを変える必要がある。

考えが変わると行動が変わる。

同じような内容の報道が続くこともなくなるはず。

Fさん:
やっぱりメディア側の気持ちや考え方を
変えていくしかないということですね。

ボグダン:
Fくんは、メディアは何で存在できてるか分かりますか?

番組を見る人がお金を払っているわけですよね。
広告費という間接的な形で。

Fくんのご両親がどういう仕事をしてるかわからないけれど
お父さんの勤めている会社は
どこかのメディアを使って自分たちのことを宣伝してるかもしれない。
宣伝費が入ることによって
メディアというのは運営されてるんだけど
見る方の人々の考え方が変われば
今のメディアは現在と同じ立ち位置ではいられなくなる。

今まではゴミを道に捨てるようなだらしない人でもオーケーだったんだけれど、街をきれいにしようとする人が増えてどんどん街がきれいになってくると、ゴミを捨てるようなだらしない人はその町には住んでいられなくなるよね。

考え方が変われば行動も変わる。

メディアの人たちは事実をちゃんと、様々な角度から発信しないといけないと思うんです。

情報がなくて、勘違いして発信していた人もいるのだと思う。
だからその勘違いしてる人には、それは勘違いだよっていうことを伝えていく。

自分のために報道している人に対しては
自分のためだけに報道しないでくださいと伝える。

僕らは自分の命を犠牲にして戦っているから。
それを自分達の損得に使って欲しくない。

僕はみんなと仲良くすることが
一番重要だと思っていて、
この四十日間はできるだけ批判、対立ではなく
ポジティブなメッセージを伝えるように努力してきました。

喧嘩する事は簡単な事だから。

そしてそう言うマインドだから
本当に多くの方とつながったと思うんですね。

そこで生まれた大きなうねりが
また次の縁をつないでくれる。

やっぱり手を取り合って頑張ることって
すごく大切なことだと僕は感じています。

例えばYouTubeとテレビの対立が起きていますよね。
これって視聴者を独占したいという欲に負けているんだと思う。

だから独占するんじゃなくてシェアすることを考える。
お互いがWINWINな関係を築く事が大切かなと

このシェアというのは、どこから来るかといったら
心が豊であることが大切。

心が豊かなら、シェアできるんですよね。
でも心が貧しい状態だったらシェアできないんですよ。

だからまず自分の心を豊かにする。
これがとても必要なことだと思っています。

お金の貧乏じゃなくて
心の貧乏っていうのがあると僕は考えていて

僕は誰かの心の貧乏が
豊かな気持ちに変わるための活動をしているとも思ってる。

究極、自分の得のためでもいいんですよ。
ただこれは自分の得のためにしているんだということを
隠さないことが大切だと思う。
隠す事によって勘違いする人々が出てきて、間違った方向に
舵切りが起きる事が良くないから。

例えば何かやりたいことがあって会社を作る。
自分の得のためにこの仕事をしているということを隠さないこと。

自分が得をするために誰かを騙すのが悪いこと。

みんなにこれは正義ですよって伝えた上で
自分が得をすることだけを考えて行動するのは
僕はおかしいと思うんですよ。

今のメディアはちょっと
それを隠してる感じがあるんですよね。

もちろん、全員が全員同じじゃない。
一概に全部が良い、悪いとは言えない。

それぞれに違いがあるという個性を理解することが大切ですよね。

クラスでも30人生徒がいたら
みんな性格違うでしょう。
でも同じクラスというつながりはある。
それがメディアだと思うと分かりやすい。

メディアというクラスがあって
その中でいろんなメディアがあるけれど
それぞれ良い子も悪い子も居る。

例えばFくんからすればこの人は悪いと思っていても、
別の友達から見たらはこの人良いっていう友達もいるのと同じ。

いろんな人が共存し合う、共生し合うことのできる社会。
色んな価値観のメディアがいてオッケーだと僕は思っています。

ただ、今は価値観がひとつのメディアが多すぎるっていうことかな。

ロシアサイドのことしか報告されていなくて、
ロシアからの考え方しか報道されていなかったら
自然とロシア寄りの考え方になるでしょう。

逆に全員がウクライナ寄りの考え方になると、それはそれで
駄目なことなんですよ。

どちらの考え方も報道された上で、
それぞれの情報を半分半分で見た時に
自分はどう考えるかな、どっちがいいかなと
決めることができる材料を提供する必要がある。

後編に続きます。


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