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心から「頑張った」と言えるようになりたい

「あのときは本当に死にそうでした」
「死ぬ気で頑張ったから今があります」
「寝る間も惜しんでがむしゃらにやってました」

いろいろな人の成功体験や回想シーンでたまに聞く言葉。こういう表現を見ると、少しだけ後ろめたい気持ちになってしまうのは自分だけだろうか。

これまでの人生を振り返ってみると、結果を求めていた瞬間や、何かに集中していた時間は多少存在している。

でもそれが「死ぬ気」だったのか、「がむしゃら」だったのかと言われると、「いや、そこまでじゃない」と思ってしまう。

大学時代、「これまで何も頑張ってきたことなさそう」と人に言われたことがある。今思うと失礼な人だが、確かにとギクッとしたことを覚えている。

そう他人に言える人は何かを「頑張った」という自負があったということだろう。多分、冒頭のような言葉をさらっといえるはずだ。

そういった表現を使うことに変なアレルギーがある気がするし、そもそも「頑張る」という意味がよくわかっていないのかも。

大学卒業から10年以上の月日が経過した今では、「よくやっているね」と言われることはたまーにある。でも、「そうかな?」とやっぱり思ってしまうのだ。

「努力を努力と思っていない」とか大層なものでもない。どこか自分の中で常に余力を残している感覚があるのだ。

ランニングで疲れて止まったけど、まだもう少し走れる感覚。
筋トレでもう限界!と思って止めたけど、もう1回くらいいけたのでは?と思う感覚。

自分の限界が未だに分かっていないのかもしれない。

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