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『もしもし、一番星』 #04 — 人のかたち — by 阿部朋未

病院の待合室で小さな女の子が泣いている。何が不満で泣いているのかはわからないが、それはもう叫びの限りを尽くした泣き方というか、少なくともかれこれ30分近く泣き通している。ここまで泣かれると周りの大人でさえ手のつけようがない。一室どころか全体に響き渡るほど泣かれると、つられてなんだかこちらまで泣きそうになってくる。まずい、色々と弱っている証拠だ。

ありがたいことに昨年末から何かと忙しくさせてもらっている。地元紙での週間連載コラムの執筆、来月開催のフォトフェスティバルの作品制作とまた別の制作、さらに震災関連の取材と。写真の仕事と並行して平日は事務職としても働いているので、休みらしい休みがあるようで実はない。電池が切れるまでずっと何かしら動きっぱなしなので、意識的に休みを作らないと体を壊して自分だけでなく周りに迷惑をかけてしまうのは目に見えている。実際、昨年は15年振りにインフルエンザに罹患し、楽しみにしていた仕事をひとつキャンセルにしてしまった。その鮮明な苦汁の味が今でも抜けない。

地元紙でのコラム連載は当初2ヶ月間のみの予定だったが、様々な方面から好評の声を頂き、さらに2ヶ月延長して執筆させていただけることになった。とても嬉しいしありがたいけれど、先述のフォトフェスティバルの作品制作及び展示と期間が丸々被っていて、文字通りヒィヒィ言いながら毎日フル稼働で手を動かしている。こんなに手を動かしているのにひとつ減ってはまたひとつ増えるタスク。何もかも終わってないのはどういうことですか。冷ややかな締切の気配を常に至近距離で背後に感じ、ここ毎晩は虚無の顔をしながら寝に入っている記憶しかない。下手したらこのままタスクを消化させる毎日で一生を終えるんじゃなかろうか。一歩間違えれば何がなんだか訳がわからなくなりそうだ。

ただ、念のため誤解のないようにいうと、この忙しさは自分が選んだ末に生じたものであり、そこに関しては一切の文句も後悔もない。強いていうならば、一日が24時間しかないことに文句を言いたいのだが、主にタスク消化における自分の不器用さと面倒くさがりな性格が招いた結果であるとも言えるので主張はあえなく取り下げられている。職場の理解もあって写真の仕事ができているし、なにより自分のやりたいことができている。事務仕事での取引先のお客さんから「阿部さんは文章もうまいし、写真も撮っていて、仕事もちゃんとしてるし偉いね」と言ってくださったけれど、今のこの環境は長い時間をかけて積み重ねてきた無数の信頼と責任の上に成り立っているので、どれかピースが一個でも欠けてしまったら全てが崩れ落ちてしまうんじゃないかという計り知れない恐怖と隣り合わせながら日々を生きている。でもきっとそれは当たり前すぎることで、どの職種においても同じことが言えるとも思っている。このシンプルすぎるほどの当たり前の重みと難しさに、今更ながら痛感しているのは言うまでもなく。

そんな中で”ご機嫌でいる”ことがどんなに重要かつ大変なのか、こちらもその大切さを身に染みて理解しているところである。特に事務職でありながらも接客対応を伴う仕事のため、無愛想なんてもってのほか、当然のことながら常に笑顔が求められる。こうやって書くとハキハキとした笑顔のように捉えられるものの、それだけではなくて穏やかに笑うのだって笑顔だとも思う。これまで0か100でしか動くことができなかったが、ようやくここ近年でその場面毎に相応しい中間値で動けるようになった。初めから限られているその日のエネルギーを有効的に消費していくにはなるべくしてなった形なのかもしれない。そもそも殺気立血ながら仕事なんてしたくないし、そんな状態で仕事したとしても誰も幸せにならない。とはいえ、毎日いろんなことがある。できる限りいつも笑顔でいたいけれど、疲れが溜まっていたりとか、ネガティブな出来事に遭遇したりとか、世情がどうのとか、やりきれないことばかりでキリがない。

しかしながら、どの世界にも常日頃からご機嫌な人というのはやはり存在していて、相手が発する柔らかな日差しのような陽のオーラに和んだり救われたりする。一見して無条件にそう受け取っているけれど、私は相手のすべてを知らないし、自分よりも忙しいはずでもあるし、きっと誰もが簡単には打ち明けられない悲しみやモヤモヤを抱えている。必ずしも全部が全部そうではなくとも、相手の優しさとご機嫌さを無邪気に受け取る自分の主観と軽薄さに時折気がついては、静かにうなだれるがごとく反省する。それらをただ享受するのではなく、有り難さと思いやりにほんの少しだけでも思いを馳せるべきなのかもしれない、と。できれば優しさは無限でいたい。けれど、実際には限りなく無限に近い有限ということに気づいていて、そんな大切なことに気づかされたのは優しさをいくつも失った後だった、なんて「よくある話」で終わらせられずにうだうだとしながら今日まで生きている。

作品のステートメントが書けない。ポートフォリオの写真が組めない。原稿が進まない。好きな人をご飯に誘えない。友達に送った LINE が返ってこない。そもそも生活って。人生って。

陽の光が当たることのない苦悩も寂しさも、ささやかな幸せも喜びもひっくるめて、良くも悪くも笑うしかないのだろう。笑っていればなんとかなるし、笑いながら日々をなんとかして動かさなければならない。嬉しいのか悲しいのかもうよくわからないけれど、今はそれでいいと思う。皆、人の形を保って生きているだけでも充分なんだよ、本当は。

阿部朋未


『もしもし、一番星』 TRACK 04
片想い『踊る理由』


阿部朋未(アベトモミ)

1994年宮城県石巻市生まれ。尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。

2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。2023年3月、PARK GALLERY にて個展『ゆるやかな走馬灯』を開催

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