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『もしもし、一番星』 #05 — 彼のうた — by 阿部朋未

習い事の定番ルートとして通い続けていたそろばん塾の成績が伸び悩んだのに嫌気が差し、塾を辞めるのと引き換えに土壇場で選んだ口実が「バスケをやる」ことだった。確か小学5年生の夏だっただろうか。

元々両親がバスケ経験者、特に母親が中学時代にバスケ部主将として東北大会に出場していたこともあり、いざ入部してみると親の熱量の方にただただ圧倒されてしまった。なんとなくの気持ちで「やろうかな」などと考えていた自分の甘さを一瞬だけ後悔しかけたのはここだけの話である。小学校のバスケチーム=ミニバスケットボール少年団、通称 ”ミニバス” は私が入部した時点でもそれなりの人数が在籍しており、皆ほとんどが中学校進学と同時にそのままバスケ部に入部するのがお決まりの流れだった。もちろん進学してもコーチも父兄の顔触れも同じで、安定していると言えば聞こえはいいけれど、一部の部員が引き起こし続けたいじめや人間関係のいざこざにより、引退するまでは正真正銘、暗鬱でしかない思い出しかなかった。

そんな中でも基本的にはコーチや父兄との関係性は家族ぐるみの仲で、毎年夏には部員の自宅の庭で BBQ と花火をやったり、大人になっても冬に温泉旅行へ行くくらいには親密な交流が続いている。その中心でもあり、末っ子のような存在だったのが「彼」だった。

私がミニバスに入団した時点では彼はまだ小学校中学年で私よりも背が低く、フィジカルな部分だとゴール下のポジション争いでは当たり負けしてもおかしくない。しかし、実際に練習での 1on1 で対峙すると痛感するように、彼の持ち味である圧倒的な機敏さとボールコントロールの正確さはチームの軸を担うほどで、下級生だろうが上級生だろうが関係なく鋭いスピードと他の追随を許さない負けん気の強さでいくらでもシュートを決めていった。2人の兄による影響からすでに垣間見えるキャプテンシーも相まって将来は彼がチームを引っ張っていき、ゆくゆくは仙台にあるバスケの強豪校へ進学するものだと皆が思っていた。今では本心はわからないけれど、本人も当時はそんなことを想像したりしていたのかもしれない。

「もうバスケは二度とやらないですが」と退団式にて唖然とする父兄の前できっぱりと宣言し、私は中総体地区予選敗退を以ってバスケを辞めた。その傍らで本来学区が異なる彼は私が通う中学へ越境入学し、安心できる顔触れの中でバスケをプレーすることを選んだ。ミニバスから続くチームの結束力もより強固になり、1年生ながら目まぐるしい活躍を見せたこともあって男子は県大会へ出場を決めた。これなら男子バスケ部はしばらくは安泰だし、これから黄金期がやって来るだろうなぁ、なんて考えていた矢先、あの震災が起こった。

発災当時、高校生になっていた私の周りの同級生はほとんど被災したものの、奇跡的に全員が無事であった。中高の部活関係の人もどうやらなんとか無事らしい。ただ一人、連絡のつかない彼を除いては。

震災から10日ほど経った頃、電波が復旧しやっと繋がった私の父親の携帯に連絡が入った。バスケ部の父兄総出で探していた彼が、隣町の体育館の遺体安置所で見つかったという。

その日は中学の卒業式の予行練習があり、体育館も使えないことからいつもより早く帰宅したらしい。両親ともに共働きで兄二人も独立しており、自宅で一人だった際に愛犬の散歩の最中に震災に遭ったのかもしれない、との話だった。彼の自宅があった地域も海から近かったために津波で甚大な被害を受け、避難所として指定されていた体育館も被災し逃げ場もないような状態。あの瞬間、彼がどのような行動をとったのか、誰にもわからない。あれから初めて対面した彼はすでにお骨になり、綺麗な骨壷へ収められていた。毎年BBQをやっていたはずの蒸し暑い真夏、いつもと変わらない面々が集まったお寺のお堂には咽び泣く声とやけにうるさい蝉の声が入り混じり、薄暗い本堂から見える青々とした庭のコントラストの落差が今も脳裏に焼きついて離れずにいる。自分と年の近い知り合いの中で亡くなったのは、唯一彼だけだった。

悲しみをどうしたらいいのかわからないまま季節は過ぎ、マフラーが手放せなくなってきた頃、制服のまま無我夢中で自転車を吹っ飛ばしながら走っていた。避難から半年掛かってようやく引っ越した仮設団地の集会所に、大好きなロックバンド・くるりがミニライブをしに来てくれると知ったのは昨日のこと。震災前の高校入学と同時に出会い、人生においての生き甲斐になるくらいに大好きで大切なバンドがまさか地元に、しかも近所に来てくれるなんて。勢い余って転びそうになりながら街灯の少ない真っ暗な道を駆け抜けた先に辿り着いた、一際明るいプレハブの建物。緊張でどうにかなりかけながらも意を決して中に入ると、室内の片隅に置いてある CD ラジカセからは『奇跡』が流れていて、その目の前にはくるりの面々が紛れもなく立っていた。

僭越ながら客席の最前列に陣取らせていただいて観ることになり、同じく仮設住宅に住む地元のおばあちゃん達との和やかな掛け合いを挟みながらアコースティック形式でライブは進んでいった。中盤に差し掛かった頃、奏でられ始めたのは耳馴染みのあるギターとトランペットのフレーズ。あっ、と思った瞬間、あの日から聴けなくなってしまった大好きな曲が始まった。

“ブレーメン 前の方を見よ”

2007年リリースのアルバム『ワルツを踊れ』に収録されている楽曲、『ブレーメン』。くるりの存在を認識するきっかけとなったラジオ番組で知り、以来好きな楽曲の一つであったものの、実は津波によって CD が流され、その思い出がフラッシュバックするために聴けなくなってしまっていた。その上、楽曲に登場する”少年”と彼のことが重なってしまい、好きだけれども今日に至るまで避けていたのだった。そして今、目の前で生の演奏を聴きながら蘇ってくる、震災からこれまでの辛さと苦しみ、そして彼のこと。思春期だったこともあって決して仲が良いとは言えなかったかもしれない。けれど、確かに部活の輪において、いつもの家族同士の輪の中で決して欠かしてはならないほど大事な存在だった。バスケも上手くて、先輩後輩問わず慕われていた上になにより愛されていて、バスケが下手くそな私じゃなくて誰よりも将来有望だった彼がどうして亡くならなければならなかったんだろう。そんな仲だったのにこうやって思ってしまうのはあまりに身勝手すぎるかもしれない。それでも確かにぽっかりと穴が空いてしまって、楽しく日々をやっていても痛みが増していく一方だったのがとても苦しくて、ほとんど誰にも打ち明けられないまま抱えながら今夜に辿り着いた。

その痛みが、曲によって少しずつ癒されていく。どこまでも深い痛みで完全に癒されることはないとわかっていながらも、ようやくどこか救われた気がした。涙がとめどなく溢れながらも気持ちは救われて、やっと彼の安らかな眠りを悼むことができたのだった。

仮設団地でのライブが終わって帰ろうとした刹那、外で知り合いの人と煙草を吸っているくるりの佐藤さんを見かけた。いきなりなんて失礼かもしれない、でもこんな機会はもう二度とないかもしれないと勇気を出して声を掛け、震災前からずっとファンであること、今日のライブの感想とあの彼のことを伝えた。言葉にしようとした想いはどうしても涙になってしまい、見ず知らずの女子高生が大号泣しながら必死に感想を伝える様子は一歩間違えれば外から何か誤解を招きかねなかったに違いない。多大なご迷惑をお掛けして申し訳なかったけれど、佐藤さんは「その子のことを忘れないであげてね」と温かく声を掛けてくれた。真っ赤に腫れぼったい目をして自転車を押しながら仮設団地を出ていく私に「気をつけて帰ってね」と見送ってくれた岸田さんの優しい眼差しを、あれからどんなに時が経っても昨日のことのように覚えている。

この夜を境にくるりのライブへ足繁く通うようになり、その時々で演奏される『ブレーメン』をほぼ毎回のように泣きながら聴いていたものの、長い年月を経ていつしか泣かなくなった自分がいた。決して彼のことを忘れたわけではないが、意識して思い出す瞬間が減ったのもまた事実である。それでもしがみつくようにして思い出していたら、きっと彼も自由に身動きが取れないかもしれない。今でも時々悲しくなることもあるけれど、彼も彼で、私も私でこれからも自由に生きていくには自然な形になりつつあると思っている。毎年3月になって澄み渡るほど青い空を見上げる時、『ブレーメン』をふと口ずさめば、これからも彼のことを思い出すのだろう。その空の下で、今日も私たちは生きている。

阿部朋未


『もしもし、一番星』 TRACK 05
くるり『ブレーメン』

阿部朋未(アベトモミ)
1994年宮城県石巻市生まれ。尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。2023年3月、PARK GALLERY にて個展『ゆるやかな走馬灯』を開催。
https://www.instagram.com/tm_amks
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