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ちぶり通信11_失われつつある故郷について

知夫里島に来てからというもの、よく地元のことを思い出す。そんな私の地元について書きたいと思う。



消えた町


私の地元は福岡県八女市立花町という田舎町である。平成の大合併の荒波に揉まれ、八女市に取り込まれて消滅してしまった町で生まれ育った。

旧立花町は合併されても仕方がないくらいに田舎町だった。たしか竹林面積日本一の町で、農業が主要産業、高齢化も甚だしかった。隣の白木という地区は熊本大学が過疎研究の対象地区にしていた。私が中学校くらいまでは町にコンビニはなかったと記憶している。


合併後、、


合併してからというと、夏祭りの度に踊っていた立花音頭は、多分ではあるが消えた。便利な八女市街地への人口流出も止まらない。小学校の統廃合が進んで、私の通っていた小学校は名前を変えてしまった。近々中学校と共に廃校になるとも言われている。私の通った小学校、中学校が無くなるのは寂寞の思いである。地域から小学校、中学校が消えるということは、子どもを持つ家庭は八女市の中心部(もしくは福岡県南部の最大都市である久留米市)に次々に流出していくだろう。過疎化の流れは止まらない。

最近、「未来を変えた島の学校」(岩波文庫)を読んだ。廃校寸前だった島前高校の復活までの道のりと、高校が活性化すると共に変わる地域の人々が描かれている。読んでいて胸が熱くなる良著だった。


この本にも書かれている通り、教育施設の流出は地域の危機である。


合併を繰り返しても尚、近未来の消滅都市にカウントされている八女市としてはわざわざ辺境部に限りあるリソースを注ぎ込むより、人を市内の中心部に集めてスマートシティ化したいはずである。
その際に、「いや、旧立花町にもら素晴らしい伝統、歴史、そして人の暮らしがあるのです。消滅させてはいけません!人々の暮らしを保証してほしい!」と訴える主体である立花町はすでに八女市に取り込まれてしまっている。


町を去り

旧立花町には18歳まで、高校を卒業するまで住んでいた。大学、大学院と進学し、新卒で東京の会社に就職した。

とにかく田舎から都会へ、外へ、と進んできた。私の周りの同級生もその傾向にあったように思う。

都会へ、外へ、の個人的趨勢が止まったのは昨年の12月だった。青年海外協力隊合格をきっかけに、東京の会社を2年弱で辞め(親はかなり落胆しただろう)、知夫村という、隠岐諸島のひとつの離島に引っ越した。


島にて

知夫村は旧立花町より圧倒的に田舎であり人口も600人という小規模な自治体である。自然を大切にし(隠岐ユネスコ世界ジオパークに認定されている)、伝統を大切にしている地域である。やはりこの島も人口減少には歯止めがきかず、その他諸々社会課題はあるようだ。
しかし、小さい村ゆえの利点も多々あり、1人の影響が全体に波及しやすかったり、取り組みが周囲のサポートを得ながら広がっていきやすかったりする。小規模だからこそ、やるぞ!と決めた時のスピード感はとても早いし、住民の顔が見えやすいので、誰の為に仕事をしているのかを想像しやすい。


田舎は捨てたもんじゃない


ともかく、この600人の島で色々な人と繋がり、色んな事業所で横断的に働くうちに、自分1人の小さな存在でも全体に対してポジティブな影響を与えるこという確信が生まれた。そんな前向きな心が生まれると、さらに大きなことがやってみたくなる。それが成功すると次のさらに大きなことがやってみたくなる。

すでに、そんなポジティブループが島のあちこちで生まれている。


こんな小さな島でも上手くやっている、社会に新しい新芽が咲き始めている。


であれば、我が故郷もまだまだやれるのではないか、捨てたものではないのではないか。


もっとアピールできる地域資源があり、もっと興味深い歴史があり、もっとたくさんの面白い人と繋がれるのではないか。


「もう一度ちゃんと新しい目で地元を見つめ直さなければ。」


いつか地元に戻り、地域のために働くのも悪くないかもしれない。行政が動かないのなら、個人単位でも少しずつでも地域を巻き込み、衰退に歯止めをかけることはできないだろうか。隠岐の小さな島で故郷に思いを馳せながらそう思ったりしている。


ではまた!


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