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「私は」を付ける作戦。フランス語から学んだこと。

パリに住み始めて5年半になる。
フランス語は難しいけれど、
日本語もなかなか難しく、
そして、おもしろいと思う。

たとえば、「雨が降っています」というのを
実際に話し言葉では、
ほとんど助詞の「が」は使わず、
「雨降ってる」「雨降ってるよ」
「雨降ってるじゃん」
「雨降ってるわ」「雨降ってるし」など、
いろいろで「降ってる」だけでも
雨であることは状況でわかる。
語尾に何をつけるかで、ニュアンスや
その人の性格や特徴さえも、
想像できたりする。
しかし、フランス語で
「雨が降っています」と言うには
Il pleut(イル プル)以外の言い方は
ほとんど(たぶん!)無いと思う。


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フランス語と日本語で、
一番大きく違うのが、文の構造である。
英語と同じように、
主語→動詞→目的語で
順番が変わることはほとんどない。
目的語は場合によってはない時もあるが、
主語と動詞は欠けることはない。
つまり、「唐揚げ食べたい」のように
私という主語を
ほとんど言わない日本語と違い、
Je (ジュ=私)は必須で、それがないと
文章が成り立たない。

私は、フランス語を話すようになって
常に「私」を
軽く意識していることに気づいた。
「唐揚げ食べたい」ではなく、
「私は、唐揚げが食べたい」なのである。
自分のことは後回し、
遠慮しがちな私たち日本人。
主語を省いて話すせいなのか
それはわからないけれど、
少なくとも、「私」ということを
あまり意識していないように思う。
周りの状況を察したり、控えめであることも
とても素敵なことだけれど、
これからは、もっと自分を
意識していいのではないかと思う。

「私はどうしたいか?」
それって、とても大事。

今朝、一人暮らしをしている
80過ぎの母から電話があった。
ワクチンを打つかどうか、
迷っているというのだ。
かかりつけのお医者さんに相談しようか、
誰々に聞いてみようかどうしようか…
そして、私はどう思うか聞かれた。

「お医者さんに相談してもいいけど、
その後、決めるのはママだよ。
ママの人生だからね。
今のママはどんな気持ち?
ママはどうしたい?」と聞くと、
「そうだよね!わかった!ワクチンは
なんだか気が進まない」とかえってきた。
私は、ワクチンについて肯定も否定もせずに、
いつも自分で感じた感覚を大事にしてね、と
付け足して電話を切った。

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心の中だけでも「私は」をちゃんと言うと、
誰がこう言ったから、
あの人がこうだから、という
外に向いている意識を、
自分の真ん中に置くことができると思う。

私は、嬉しい。
私は、寂しい。
私は、ウキウキだ。
私は、凹んでる。
私は、幸せだ。

今度、母に勧めてみよう!


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