大満足だった「見送り」。
2022年大晦日、
私はこの一年嬉しかったことを
お気に入りのノートに箇条書きにしてみた。
振り返ると、素晴らしい一年だったと思う。
その中でも
一番幸せに感じたことは、
父を完璧な状態で見送れたことだろうか。
2022年初め、父が急に弱くなり
病院が隣接している高齢者施設に
自ら希望して移ったのが2月。
主治医の先生から
「危篤で今晩が山場です」とメールが届き、
急いで日本に帰国した2月末。
当時はまだ日本に帰国すると隔離期間があったけれど、
主治医の先生からの診断書や
施設と羽田空港検閲の方とのやり取りで
隔離を免除してもらえ、
危篤の連絡から驚くほど早く
父に会うことができた。
私が病室に入ると
朦朧としていた父も
さすがに驚いて、目を大きく見開いた。
ありがたいことに
施設の方々は、私のために
父の部屋に私のベッドを用意してくださり、
おかげで私は父と数日一緒に過ごすことができた。
今思うと、とてもよい時間だったと思う。
私はいろんな方々に支えられ、
父の最期を見送ることができた。
長いこと連れ添ってくれた
父の奥さんと私で手を握り、
大好きな父の従弟のカルテットの音楽を聴きながら、
父は静かに旅立った。
「親の死に目には会えないかもしれない」
私がフランスに来る時に
それは覚悟していた。
海外に住んでいらっしゃる方は
皆さん、同じ気持ちではないだろうか。
もし仮に私が隣に住んでいたとしても、
それが可能かどうかはわからない。
また、最期を看取るということが
絶対に大切なのかというと
それはそうではないと
私は思っている。
そうは言っても、
私は最期を一緒に過ごせ、
何度も「ありがとう」と言うことができた。
だから、悲しいというより、
父が人間の身体を卒業する時に同席できて
むしろ、
変な言い方だが
ガッツポーズだった。
さて、父の終活について・・・。
それはそれは完璧だった。
父はエンディングノートを作り、
父の希望、後処理などが
全て書かれていた。
父の奥さんが一人で困らないように、
私の負担がかからないようになっていた。
銀行は全て一つにまとめ、
印鑑や印鑑証明書などなど
ファイルにまとめられていた。
一番可笑しかったのは
父がいよいよ最期に近づくかという時、
父は葬儀屋さんを病室に呼び、
葬儀の手配を頼んだことだ。
施設の方々が
フランスからZOOMで私も
葬儀の打ち合わせに
参加できるようにしてくださった。
朦朧だった父だったが、
何故かその時は
実にしっかりしていて、
細かいところまで質問していた。
父はあくまでシンプルに
親族だけで、という
リクエストだったので
葬儀屋さんも
追加オプションの営業が
しにくそうだったのが
気の毒にさえ思ったものだ。
私はパパっ子で
何をするにも一番に父に相談していた。
だから、生前
父がいなくなることを想像した時、
「どうやって生きていこう?」
と不安になったこともあったけれど、
不思議なことに
今の方がずっと近くに感じる。
肉体のある父に
会えないのは寂しいけれど、
おかげでたくさんの方々に
守られていることを
感じることができた。
親戚や友達、元夫、
極小の乗客にもかかわらず、
羽田便を出してくださった航空会社、
羽田空港に降りる際に
「お父様に会えますことをお祈りしております!」と
声をかけてくださったJALのCAさん、
何の制限もなく私を受け入れてくださった
施設の皆さんや主治医の先生などなど・・・。
この帰国のおかげで、
画面上でしか会ったことのない友達に
初めてリアルで会えたし、
何より、
父の奥さんと初めて
「家族」という関係を築けたことは
私にとって、一番の収穫だ。
さて
今年はどんな年にしよう?
世界がどんな状況にあっても、
更に自由で
チャレンジして飛躍して行こう!
限りある人生を
100%満喫するために。
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