見出し画像

【第5回読書会】『サイスの弟子たち』ノヴァーリス著

「師とは誰なのか?」

今回はいよいよその謎に迫れるか―。


その前に、質問4「理解しにくかった疑問点」の
前回からの続きです。

『サイスの弟子たち』ノヴァーリス著/岩波文庫

一冊をじっくりと深堀していくスタイル。
コメント欄に感想や質問など書き込んで頂けば、
次回本文に取り上げさせて頂くことも。
メンバーであるなしに関わらず奮ってコメント欄にてご参加下さい。

また、初めてこの記事を読まれる方や
この本の内容などについては
私の読書感想文をどうぞ!!
👇
ノヴァーリスの「サイスの弟子たち」哲学的なあまりに哲学的なー小説|MAGUDARA|note

第1~第4回目の様子はマガジンの「小さな読書会」をご覧ください。

それではメンバーの御紹介を🎵
🍋リモーネさん、🌸sakuragaさん、✞私MAGUDARAの3人と
それに有志代表の🐥shionさんです。
(今後のやり取りは絵文字を使わせていただきます)


✞まず前回「不可解なキーワード」として🍋リモーネさんが挙げられた質問の答えの捕捉から。(※岩波文庫版/ページ数と行を表記)

●P97―3行目 古代の賢者たちが水に万物の根源を求めたのも(中略)この高尚な水のなかに姿を顕すのは、もっぱら、溶けた金属にもみられるような『原水』【本つ海】だけなのだ。→🍋この『原水』とは、命の誕生(始まり)とかわりがある気がしていること。

✞これは錬金術に関連するものであり『万物溶解液』(錬金術の過程で何でも溶かすものとしての液体)として作ろうとしただけでなく、万能薬として試みようとしていたのではないかと答えましたが、その後ノヴァーリスの長編小説『青い花』の中にこの原水について書かれた部分が見つかりましたので記しておきます。
(*注184)原水――鉱物水成説で、万物が生成される根源となる水のこと、原海。ということなので錬金術的に言うなら、溶けた金属にもみられるような『原水』【本つ海】は、リモーネさんの言われた、命の誕生(始まり)といってよいのかもしれません。

🍀  🍀  🍀

✞さて、前回はリモーネさんからのこのような質問についても考えてみました。→🍋②なんでも本質を見通せる子ども。そしてそれに追従することになった不器用なある弟子が拾ってきた石を師がストーンサークルに置いたのは何を象徴しているのか?

ということでいろいろと意見が出ました。本日はその続きからになります。

✞石といえば、ノヴァーリスは「崇高なるものには石化する作用がある」と言っています。石そのものについて「石化した自然」のイメージが強くあるようなのですが、これについてはどうでしょうか。※P91-(37)を参照。

sakuragaさんがまずはこう答えてくれました。
🌸石化した自然、私にそれは化石の一種ではないかと思えます。
生息していた生物が地層に閉じ込められ、硬い組織を中心に鉱物化したもの。それこそが化石なのです。
具体的に言うと琥珀もその一つですね。
それこそが過去と今と未来を点と線で、つなぐワンピース。

✞sakuragaさんお答え頂きありがとうございます。

🐥「石化した自然」のイメージも興味深いですが…ちょっと難しそう^_^;

shionさんからはこのような率直なご意見を頂きました。

またリモーネさんからは3回目のコメント欄より新たにとても参考になる意見を頂いてますので、ちょっとご紹介します。

🍋『石』はこの本の隠れテーマなのではないでしょうか。
太古の昔(過去)から、途方もない年月をかけ創生され今現在もここに在住し、未来ににも存在する不変に近い存在であり、石の象徴するもの、たぶん鉱物学では表現しきれない何かがある気がしています>

✞なるほど!さすがゲーテがお好きなだけあるリモーネさんらしい気付きだと思いました。これは最初の捕捉の部分でも説明した「鉱物水成説」にも通じるようですね。
→先に進みます。「石化した自然」の考察の前に、ノヴァーリスが「石」というものをどう考えていたかをまず見てみましょう。同ページの少し前にこんな文章があります。

岩は、まさしくわたしが話しかければ、特別の「汝」にならないでしょうか。また、わたしが物悲しい心で川波をのぞき、そのよどみない流れに百千の思いが没し去るとき、わたしは川以外のなにものでしょうか。

この「わたしと流れとの関係」ですが、皆さんも心当たりがありませんか。自然の景色を見て一体化したように我を忘れるような瞬間というものを。(因みに私✞ですと御岳渓谷の渓流やローヌ川を眺めたりする時など)
この感覚というものは生命の一つの在り方と考えれば石(岩)も同じだと思います。ただ自然界のものでありながら悠久の流れの歴史の中にあり、人間とは時間の流れかたが違うので、動物とか植物などのような相互関係にあるとは考えにくいが、石にはそういった石の在り方(=生命)というものがある。

ノヴァーリスはそのように石について考えているようですが、リモーネさんの気付きをまさに代弁しているようですね(笑)
(※参考文献:石の中の時計,ゲーテの眼とノヴァーリスの詩 /加藤博子著より)

先を急ぎます→以上を踏まえてサイスの弟子P90の問題の部分を見てみましょう。

あの失われた人類の栄光の時代の遺物である石像には、いとも深い精神性というか、の世界に対するいとも不思議な理解が輝き出ていますが、それは感受性に富む観察者を石の表皮で覆い、次第に内部へと成長していくようにみえます。崇高なるものには石化する作用があります。


これをもう少し私なりにわかりやすい意味に直してみます。

崇高なるものとは、最初の石像(=彫像)のことを指し、これは例えば古代エジプトの王やこの小説の中で重要なポイントを占めるイシス像などのことを指していると思います。感受性に富む観察者、詩人は石の表層に覆れた部分の内部にあるものを、眼ではなく体感のようなもので感じ取ってゆく。私が川の流れの中に溶け込んでいくように……。

どうでしょう?

つまりそのように観察者の側で、石に呼応するような石的感性を呼び覚ますこと、即ちこちら側が石化するという仕方で同調が起こるということです。ノヴァーリスが言う石化する作用とはそのような心のはたらきで、実際の化学的な変化のことを指すのではない。詩人としてのあくまでも「比喩」なのだと思えてきました。
つまり「石化とは石の気持ちになること」=「崇高なるものには石化するはたらきがある」ということになります。そしてノヴァーリスはその崇高なるものと同調しようと思うわけですから、自身も崇高なるものを目指したいという意味もその中に当然含まれているわけです。

🐥「詩人とはどんな存在か」ノヴァーリス「ひとりの美しい若者」が、そんな詩人の素晴らしさを語るシーン(P87~91)は読んでいて一番楽しかったところです。<黄金の葡萄の酒に甘く溶けてしまいたい>(P88)なんて比喩が出てくるし、彼も詩人だったりして」

shionさんがそのような感受性に富む観察者である詩人ノヴァーリスが、詩人の素晴らしさを語るシーンばかりに目が行ってしまうというのも頷けますね。因みにこの<黄金の~>部分にも錬金術の影響を受けたノヴァーリスの独自の表現が感じられる気がしますがどうでしょうか。

またsakuragaさん、リモーネさんも挙げられていた、前回リブログ頂いたてんぱりまっくすさん―「stone」=「石」には「st」=「Saint (聖者)」と「One(唯一)」「石は唯一の聖者」=イエス・キリストを表わしている―という単語の綴りからの連想にもとても新鮮な驚きを覚えました

🍀   🍀   🍀

お待たせしました~

「師とは誰なのか?」

いよいよこの問題について考えます。

(まず頂いた意見をここからは💋「対話調」で進めます)


✞まずリモーネさんはどうでしょうか?

🍋師とはやっぱりゲーテみたいな人か?それかもしくはキリストの化身かなと?あと本質を見抜き皆に愛されている子どももキリストを彷彿とさせました。というのも、子どもの従者となった不器用な弟子が喜ばしい讃歌を歌ったとき(←p46の3行め)師は東の空に目を向けられたので、そこにも注目して。

🌸そうそう!「東の空の件」ですよね。やはり私もイエスの出現と関係していると思います。

✞あっ、sakuragaさんらしい素早い反応ですね(笑)

🌸つい、黙っていられずに……でも東の空にいるお方がイエスであるならば、師とは誰になるのか?ということになりますからね。そう考えると、一人と限らず自然を熟知したプロフェッショナル?ということになるのかも。

🍋「師とは1人と限らず自然を熟知したプロフェッショナル?」、なるほど考えればそういう気がしてきました。私もsakuragaさんの意見に賛同します。

🌸一人を特定できないので「一人と限らず自然を熟知したプロフェッショナル」とさせていただきます。

✞それについて何か少し具体的なイメージはありますか?

🌸そう言えば、一つ気になる話を目にいたしました。「ミケランジェロは大理石を自ら探しに行き、自ら切り出し、自ら選び、大理石の声に耳を傾け、それを大理石から掘り出す事の出来る人物だった」と『面白い石と人の物語/大平悠麻著』という本に書かれていました。ここにも確かに「師」がいたようですよ。

sakuragaさんのこのミケランジェロの逸話は、確か私も聞いたことがあります。よく仏師は一本の木から仏像を彫るのではなく、中に隠された仏像を掘り起こすというような話も聞きますが、その道のプロフェッショナルは石だけでなく自然の素材からも啓示を受けるものなのかもしれません。
私も基本的にお二人が言われる「自然を熟知したプロフェッショナル」という意見にやはり賛同します。👏
そして解説にも書かれていますが、師のイメージとしてノヴァーリスが学んだフライブルグ鉱山大学の尊敬する教授A・G・ヴェルナーが取り入れられているようです。

ここでひとまずは先ほどの「東の空の件」に戻らせて下さい。

P114の補遺8に出てくる子供とかれのヨハネ。(*68)で―子供はキリスト、ヨハネはキリストの到来を予言した洗礼者ヨハネ。―という記述についてです。 

お二人にお聞きします。――師は東の空に目を向けられたのは、あの子供がやってくる前のことだった。とP45の最後の行にも書かれているとおり、この流れだと師は洗礼者ヨハネなのではないか!と思いませんでしたか ?

🌸 ……… ( ゚Д゚)

🍋 ……… (*'▽')

✞ところが~調べたらどうやら二人の年齢差は半年位しか違わない。もちろんこの物語はフィクションだとしても、師とはかなりの年齢の開きがあるようなのでやはり違うという結論に至りましたけど(-_-;)

🍋ええと、実は閃いた💡ことがあるんですが……具体的に言わせていただきますね。
最近『ユングとオカルト/秋山さと子/講談社現代新書』という本を読みました。それで、私はある時期、哲学方面と技術方面の両方を熟知して放浪していたグノーシス派に関係した錬金術師たちがモデルなのではないかと。今はそういう考えに至っています。

✞なるほど。確かにノヴァーリスは自然科学や哲学の勉強をする中、ルネサンス期の自然神秘思想やカバラや錬金術などにも意欲的に取り組んだりしています。ただ今ご紹介頂いた『ユングとオカルト』の中にも薔薇十字団の思想に触れられている部分がありますね。薔薇十字団の紋章の七つの花弁は七つの遊星やその変容の段階を寓意的に示していて、それはドイツロマン主義のノヴァーリスの「青い花」であると書かれていたりもしますから。

🍋この本にはグノーシス派とサイスの弟子たちについて、はっとさせられるとても興味深い発見もあったりしたのですが、それは次の「ヒヤシンスと花薔薇の挿話」のところでぜひお話したいです。

リモーネさんから言われて私もすでにその部分は読ませて頂いています。もう少しだけお待ち下さい。

では最後に私が考える「師」についてです。

「自然を熟知したプロフェッショナル」ということなので、自然哲学者ではないかと思いました。自然科学者ではないですよ。というのはP53の中程にこう書かれているからです。

自然研究者たちは鋭利なメスで刻んで、各部分の内部構造や連関を調べようとした~そこにはただぴくぴくと痙攣する屍しか残らなかった

これは自然科学者のことを指すように思ったので。

ノヴァーリスが描く『サイスの弟子たち』の師のイメージ。

そうですね。具体的に言うと『自然学』という自然哲学の研究書を書いたアリストテレスのような人ではないでしょうか。
万学の祖と呼ばれるに相応しく、天文学、生物学、気象学などその分野は多岐にわたっているし、また古代ギリシアのリュケイオンという彼が作った学校のイメージも、サイスの弟子たちが学ぶ部屋の描写を彷彿させるように(いくつもの広間に置かれた珍しい蒐集品や彫像)感じたので。
「一人と限らず」と私が敢えて付け加えるとしたら、先に挙げた鉱山大学の教授A・G・ヴェルナーの外観の雰囲気とか、リモーネさんのおっしゃるゲーテや錬金術師たちのスパイスなども少なからず入っているかもしれません。

以上ですが、いかがでしょうか。

最後にshionさんから前回こんなコメントを頂きました。

🐥ノヴァーリスが『青い花』の中で、鉱山の仕事を「幸せと気高さをもたらし、神の叡智と摂理への信仰をめざめさせ、けがれのない子供のような心を保ってくれるもの」と語っているのを知りました。まさに自然を理解するのにふさわしい環境にいたようですね。第4回のストーンサークルの話と合わせて、物語全体を理解するヒントになりそうな予感がしております。

✞shionさんはいかがでしたか。
今回の「石化に関する疑問」や「師とは誰かについて」何か理解が深まれば良いのですが。

それではまた次回に👋


※メンバーの方でなくても構いません。
本(精読していなくても)やノヴァーリスについて
読書会についてのご意見、ご感想をお寄せ下さい。

   

この記事が参加している募集

海外文学のススメ

一つ一つの記事に精魂を込めて取り組んでいるので、更新は頻繁ではありません。それでも辛抱強くもし応援して頂けるなら、どんなに励みになるでしょう!