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80代両親のW発熱で看取りを身近に感じたGW

今年のゴールデンウィーク後半、父が高熱を出し救急搬送されることになりました。さらに、母も同じ日に施設から高熱の連絡がありました。

両親ともに家族の付き添いが必要な状況。

そんな出来事から始まった、親の看取りについて思ったことを綴ります。


80代親、それぞれの老後

最期を過ごす時間に切替えて

実家の母は、8年前から認知症のグループホームに入所しています。

レビー小体型認知症を患った母は、コロナ禍で車椅子生活となり、体重も60㌔から38㌔に減りましたが、がんばって現在の体重を保っています。

昨年は病気で何度も入退院を繰り返しました。もしかしたらお別れの時が近いのではないか?と思い、半年前に家族で話し合い、治療ではなく穏やかな最期を迎えるためのサポートをする訪問医療に切り替えました。

母の施設では、看取りのことや医療の取り決めについての説明があり、いつでも看取りができるような体制が整っています。

今は母と一緒にどのように過ごすべきかが、家族全員の重要な課題となっています。

父は、ピンピンコロリだと勝手に思ってた

実家の父は、母が入所した後に老人うつの症状が現れましたが、幸いなことにコロナ禍でも病気にかかることなく、週に1回のデイサービスや週に1回のヘルパーを利用しながら、余暇を楽しむなど現在まで一人暮らしをしています。

ただ、昨年から食事の量が減り、介護が必要な兆候が見えてきました。

以前は一人で料理を作って元気に食べることができてたんです。「お昼作ったから食べにおいで~」なんて、父からコールが入るくらい元気でした。

でも、最近は食事をしない日があることも(料理を作っても食べないこともあります)。

父の様子を家族全員が関わりの中で気付き、改善策として、誰かが一緒に食事をするよう心がけようとスタートさせたばかりの発熱でした。

80代両親のW発熱の病状と経過

父が高熱で救急搬送、母も施設から高熱の連絡があったのはゴールデンウィークの後半。両親ともに家族の付き添いが必要な状況でした。

私が父に、長姉が母に付き添いました。

長姉のはなしでは、母は、食事も水もとれなくなり、点滴を行いながら回復を待つことに。もしかするとこのまま衰弱してしまうのではないか…。そんな心配いが頭をよぎる日々でした。

3週間後、やっと点滴が外れて介護士が口から食事を促すリハビリが始まりました。でも、食べる量が圧倒的に少なく、栄養を補給する補助食品( エンシュア )でカロリーと水分を補うのが日常になっています。

父は5日間入院して退院してきましたが、一人暮らしの生活をきちんと見ていく必要があり、姉妹が交代で実家に通っています。

だんだんと体力は回復してきましたが、以前のような元気さが戻るまで、まだまだ時間がかかりそうです。

あぁ、もしかしたらもう、以前のような生活はできないのかもしれません。今の生活を維持することが先決だ…そんなことを思っています。

ぼんやりしていた看取りが現実味を帯びてきた

今、親の介護ではなく「親の看取り」を考えています。

人間だれしも、いつかは死ぬものだ…
人間として逝くのは自然なことだ…

そうは思っても、具体的にどういうことだったのか?までは、全く分かっていなかったのだなーと、今回のことで改めて思いました。

医療の場で、例えば医療的処置をどこまで施すか?は、父の場合も、母と同じで良かったのか?とか、自宅で父が息をしていなかった場合、私はやはり救急車を呼ぶべきなのだろうか?とか…。

本当に細かいことなのですが、話し合ってなかったな、と思ったのです。

情報を調べているうちに、宇都宮市の在宅療養パンフレットがヒットしました。

パンフレットには、8つのサインについて書かれています。「死期が近づくとどうなるのか?」では、眠っている時間が長くなり、食事が段々取れなくなり、全く口にしない日もある とありました。

旅立ちのときが近付くと…眠っている時間が長くなります。体力の低下により、起きていることが難しくなります。1日のほとんどを眠って過ごすこともあります。床ずれができやすくなるので、時々身体の向きを変えてあげましょう。無理に起こす必要はありません。

宇都宮市在宅療養パンフレット

これまで、ぼんやりしていた看取りがパンフレットに書かれていることを確認していると現実味を帯びてきました。

症状と対応が書かれていて分かりやすいので、参考にしたいと思います。


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