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【ライター】新聞執筆のトラウマ的記憶をふり返る

新聞という媒体が怖くなったトラウマ的な記憶をふり返りました。

20年以上前のことですが、思い出せる範囲で書いてみます。


1000文字で伝えたかった社会課題はトラウマになった

2000年初め、私はある社会課題について本を出版する為に取材をしていました。その経緯から新聞記者から取材を受け、「社会に伝えたいことを書きませんか?」とオファーを頂きました。

「新聞でなら、苦しい立場に置かれた人の現状を知ってもらえ、社会は少し変わるのではないか?」と、そんな期待が先走っていました。

そして、新聞にエッセイ&コラムを書くことになりました。

当事者視点で書いた記事は、全6回。

初回の記事は、予想以上に反響は大きく、後にテーマの講演オファーが来るようにもなりました。

でも、私は徐々にナーバスになっていきます。担当者とのやり取りが上手くいかなくなったのです。センセーショナルな新聞記事の見出しが、一人歩きし始めていました。

意図しない言葉が一人歩きする媒体

ジャーナリストの松林さんは、マスコミ取材を受けた側から愚痴を聞かされることがあるそうです。それは、意図しないニュアンスで引用されたことへの苦言。

企業経営者の集まりなどで新聞社にいたと自己紹介すると、マスコミに取材を受けた際の愚痴を聞かされることがある。中でも多いのが「自分のコメントが意図と異なるニュアンスで引用された」「質問が要領を得ないので不安になった」といった苦言だ。残念ながら、こうしたケースは増えている印象がある。

2019年8月号広報会議・松林 薫(ジャーナリスト)

それを読んだ時、「あ、私もこれだった!」と自身の記憶と重なりました。

私が新聞取材を受けたり、執筆した頃は、紙媒体がまだまだ強かった時代。

新聞記者は一般市民の味方だと、私は完全に信用しきっていました。そして、「ジャーナリズム精神」を持った記者は私の憧れでもあったのです。

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