社会主義国家ソ連について考える
マルクスの分析によって、「資本主義は極めて非人間的な経済体制」であることがわかりました。だから、資本主義に取って代わる社会主義は良いものであると人々は考えたのです。しかし結果は悲惨なものでした。
なぜ社会主義は失敗に終わったのでしょうか?
ソビエト社会主義共和国連邦の歴史から考えてみます。
▼▼▼初代指導者レーニン
ソビエト社会主義共和国連邦は1917年のロシア革命によって誕生しました。初代最高指導者はレーニンです。レーニンは約70年にわたりソ連の体制の枠組みを築きました。それは中国や北朝鮮などの共産党国家にとっての模範ともななりました。
▼▼▼レーニンの時代は良かった
1991年にソ連は崩壊した際、テレビのニュース番組ではレーニン像が引き倒されるシーンが象徴的に放映されました。しかし地方に行けばまだまだ多くのレーニン像が残っています。実際、私もヴォルゴグラードという都市を訪れた時にレーニン像を見ました。今でも「レーニンの時代は良かった」と考える人々がいるということがわかります。
▼▼▼第2指導者スターリン
レーニンの死後、スターリンの時代が始まります。ここからソ連は徹底的な言論統制の社会に変化します。そうでもしないと社会主義体制が維持できなかったんです。ソ連が誕生した頃、世界の大多数の国々は資本主義国でした。だから資本主義国からすれば社会主義が世界の潮流になるのは困る。そこでアメリカを始めとする世界の国々はソ連の社会主義を崩そうとします。各国があらゆる媒体を使って資本主義の魅力を国民にアピールします。そんな状況だから、スターリンの立場からすれば、反革命的な動きが出ることを恐れました。だって若者が資本主義の自由な生き方を見たら憧れて社会主義なんて嫌だと言い出すでしょ。そういうわけで、自由な言論を抑圧しました。さらに「社会主義ってすごいんだぜ」と、その優位性を示すために様々な取り組みをしました。
農業の集団化
まず手始めに地主を全て殺して、全ての農地を国有化しました。・・・えぐい。でもスターリンは社会主義のもとで労働者を支配する地主はいない方が良いと考えました。さらに、労働者を平等に扱うことにしました。下は当時のチラシですが、労働の喜びを宣伝しているようですね。
しかし、理想と現実は大きく異なっていました。労働者がサボり始めたのです。本来の農場であれば、労働者は自分たちの作物を一生懸命に育てて守ろうとします。でも、国営農場なので自分たちのものという意識がありません。さらに給料も同じなのでやる気も出ません。
さらに第農地を持っている人々を処刑してしまったことで、農業知識を持つ人々が極端にいなくなりました。異常事態に対応するすべもなく、農業生産性は急激に低下してしまいました。
こうした結果、悲惨な事件も起こってしまいます。1932年にはウクライナ人が住んでいた地域でホロドモールと呼ばれる大規模な飢饉が発生しました。1000万人以上が餓死したとされています。
商品の生産計画
マルクスは資本主義の問題点をこう考えました。「資本主義の下では、資本家たちがより多くのものを作ろうとして激しい競争をする結果、ものを作りすぎてしまうと考えました。でもたくさんのものを作ったところで、貧しい労働者にそれを買う資金はありません。結果、需要と供給に大きな差が出てしまい不況になる。」
この考えに基づき、ソ連は国家が生産物をコントロールすれば、無駄な生産がなくなると考えます。例えば冬用のブーツであれば1万足あれば大丈夫なんて具合です。これを計画生産(5カ年計画)と呼びます。
早速、偉い人は寒さを乗り越えるためのブーツを一定数作るように指示します。労働者はブーツを作ります。でも、ブーツであればなんでもいいよねと考えて、ゴム製のブーツを大量に製造しました。しかし、それははき心地最悪、見た目ださい、と全く魅力的ではありません。結局ブーツは大量のゴミとなってしまいました。
▼▼▼まとめ
皆が平等の理想的社会を掲げて始まった理想国家ソ連ですが、結果は70年間で崩壊してしまいます。理想と現実は全く違いました。何よりも人の心は弱いということがよくわかりますよね。
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