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代替可能な存在になりたくないけど、代替可能なら安心だね

私のどこが好き?ときいたときに、可愛いから、おしゃべりが上手だから、一緒にいて楽しいから、なんかじゃ全然足りない。

私が私であるからと言うふうに言って欲しいと思う。可愛い、面白い、楽しい、はすべて代替可能だから。私より可愛い人が現れたらどうする?私より話してて楽しい人が現れたら離れちゃうの?いつまでも私が持つ現状より上が出てくることに怯えている。

だけど、もし私がその人と長らく一緒にいる気がないのなら、代替可能なことに安心をする。じゃあもっと面白い人が見つかるといいね。もっと可愛い人が見つかるといいね。

とってもわがままだ。私がいなくなった時は、私よりもっと面白くて可愛くて楽しい人を見つければいい。

だけど、好きな人に対しても代替可能であることに安心してしまう時もある。私が私でないといけないほどに、私とは何かがわからなくなってしまうから。好きな人にはとことん合わせて好きな人が好きな自分を作り上げてしまうタイプにとっては、相手が好きな自分を演じてしまうばかりに、なおさらに自分を見失ってしまう。

それでいて代替可能な存在なんて嫌、なんて虫が良すぎるか。

彼は私の代わりを見つけただろうか。

好きな人の心の中に少しでも私は残っているだろうか。

どうして彼の心の中から私のことを好きな気持ちはどんどん消えていってしまう気がするのに、私の心の中からは彼が1ミリも消えないんだろう。

代替可能な存在なら、私よりおしゃべり上手な誰かが現れたら、あ、ぱりあんちゃんより可愛いかも、ぱりあんちゃんより面白いかも、ってそれだけで私を思い出すきっかけになれればいいのかな。

やっぱりそれだけじゃたりない、全然足りない。足りない足りない足りない。

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