見出し画像

後悔の先にある自分

「欲しかったけど手に入らなかったものや失ったものを通して、自分らしさが生まれてくる」

宇多田ヒカルさんがFind Loveの楽曲制作に伴って話していたことです。

20代後半に入り、日々人生山あり谷ありの生活に自ら投じている筆者。
この言葉、とても沁みます。

私はかつてプロのバレエダンサーになりたくて、青春を全て捧げましたが、高校時代のバレエ留学を機に自らその夢に一度ピリオドを打ちました。
それが最初の大きな挫折。

その悔しさをぶつけるかのように大学受験に一心不乱に取り組みましたが、大学受験でも大敗。逃げるかの如く、滑り止めの大学に入学しました。
これが二度目の大きな挫折。

10代前半はバレエに必死に向き合っても結果が出ず、後半になっても日の目を見ることなく諦めたものの、他の道でもうまくいかない。その当時はとても辛く苦しい気持ちを抱えながら、でもいつか光は見えるはずだと信じては自分に裏切られ、の繰り返しで、自分を投げ出したくなる感情を抑えて平然と生活することで精一杯でした。

大学生になってからはしばらくバレエから離れ、忘れて平凡な日常に馴染める自分であろうとしました。バレエを知らない世界の友人ができ、恋愛話をしたり、お泊まり会をしたり、お酒が飲める年齢になれば居酒屋に1人、あるいは複数人で行って、いろんなお酒を試したり。男友達も増えたので、デートっぽいこともしたりしました。

しかし、心に空いた大きな穴、虚無感、は一向に消えません。
気づけば、バレエを再開して、編入試験も受けていました。

再開した当初は、バレエを辞めていたブランクによる身体的な問題より、一度諦めたはずの世界に戻ることで生じる精神的な苦痛の方が勝っていました。

かつては、バレエダンサーを目指す理想的な自分像が明確にあり、それにそぐわない自分、すなわち踊りを楽しんでいるだけの能天気な自分を許せない部分がありました。いや、今もそういう部分は残っているのかもしれません。
それはすなわち、それまで情熱を注いで身につけてきたものに対して、ある程度正統性を持ってやってきたという自負が強い一方で、それを体現し切っていないからプロになれなかったと囁く自分がいて、理想と現実が噛み合わず苦しかったのだと思います。また、その現状から一度逃げては見たものの、踊らない自分は心臓を持っていかれたかのように何もなく。。。かつての自分ならこの世界で生きていくために努力をする気力がありましたが、その当時の自分は攻められたら攻められただけ突っぱねて自分の悪いところも曝け出して、諦めの姿勢で自分をみて。我慢を辞め、努力も辞め、適当に生きつつ、でも何か存在意義を感じるものはないか、ふわっと考え直していました。

しかし気づけば、肩の力を抜いて生きたこの時間が新たな自分を見つけるいいきっかけにもなりました。

真面目で引っ込み思案だと思い込んでいた高校時代を捨て一から人間関係を再構築する際、思いの外、私は自分と馬の合う人間を見つけるのが得意で、案外社交性を兼ね備えていると気づきました。また、自分を守る姿勢を辞めたことで、自分の人間臭いところを見せても嫌われない人といると意外と気軽で楽しく、そして深い友人関係が構築でき、そんな相手にも期待させすぎない立場でいる自分が嫌いじゃないとみつけたのです。

こうした新たな面を見つけたことで、極右的自分から見ればだいぶバレエに対する気持ちは軽くなっていましたが、大人クラスでバレエをするにはバレエを知りすぎていてやり切った感がなく、セミプロクラスへ通うことに。そうなると、同世代のバレエダンサーを目指している人たちに再会しまして、また葛藤が生まれます。

自分に期待したくなるんです。古傷が疼くように、自分はプロになれるんじゃないかと。

でも、新たな世界を知って片足突っ込んじゃっている身からすると、またあの生き地獄に近い生活、つまり練習を重ねに重ねても一流にはなれないし、一向に選ばれない自分を責めながらそれでも踊るしかない日々、に戻るのは怖い。

大学でも自分は研究に向いているんじゃないかと思うようになっていて、新たな夢が見えそうな時期でもあったので、実践者としてのプロを目指せるようなモチベも、自信もありませんでした。

そう。自分が本当になりたかったものに対して、いつも弱気で手を伸ばす勇気が出ない。いつも逃げ道を考えておく、それが私です。

そんな中でも、編入試験は最初の大きな転機になりました。
挑戦への恐怖の中で、ひたすら自分に言い訳しながら自分を鼓舞し続けた結果、なんと合格。

この時初めて、自分に期待していいと実直に思えるようになりました。
そして、自分の夢は自分で責任を持つと決め、フランス留学の計画を立てました。

あいにく途中はコロナの影響なども相まって不安定な時期もありましたが、今やフランス留学4年目に突入する勢い。

東外大で学士を卒業後、フランスに渡航して、一年目でフランスの学士とバレエ教師国家資格の実技試験に合格、二年目は3校に同時入学、3年目は2校に絞り、舞踊譜で一期のディプロマ取得、4年目ははいよいよ国家資格の最終試験と舞踊譜の修士課程です。

バレエと恋

10代と20代で大きく変わったこと。それは人間関係や恋愛だと思います。

10代はお恥ずかしながら恋愛そっちのけで勉学やバレエに励んでいたので、人間らしい恋愛感情は我慢してゴミ箱に捨てていました。
20代になり大学生一人暮らしとなると、ある意味監視の目がなくなり自由になるので、自分の意思で火遊びしようと思えばできるし、恋愛経験のある友人もできます。

恋愛経験がない当時はただ漠然と憧れしかなかったですが、それが実態化すると、自分は恋愛経験に憧れがあったというよりも、恋愛ソングや恋愛を通して語られてきた人生の哲学みたいなものを理解するために経験したかったのだと気づきます。

すると、私の恋愛はバレエ経験が全て代用していたのだと気付かされました。

例えば、試しにアプリで彼氏を探しても、バレエで感じた強い熱情はないわけで、とても空虚に感じたり。また、そうした恋愛のやり取りをするにも、相手と自分が求めるものの差に罪悪感を感じたり、あるいは軽視されていると感じて腹が立ったり。バレエは一方的片思いで初恋ですから、私から熱を注ぐ分には罪悪感はなく、私を評価するのはバレエに携わる多岐に渡る先人たちですから、いちいち腹立つ必要はありません。

そう。バレエの経験において感じたことは、心のときめきや対話などそこらへんに転がっている恋愛では代用できるようなものでなく、むしろ唯一無二。入り込めば入り込むほど、沼でブラックホールですが、等価交換として自分の思考力や心身の充足感を得られていたのだと気づきました。

20代の今、ぼちぼち恋愛経験値を積められています。当初は刺激的な恋愛を求め、失恋も経験しました。バレエにおいて煌めく初恋経験もして、そうしたキラキラ感はもう胃もたれを感じるレベルです。今は、罪悪感を感じることのないじんわり温まるような恋愛に居心地の良さを感じていて今後も続いたらいいなぁと思っているところです。

後悔の先にある自分

今でもプロのダンサーになれない自分に対する苦々しい感情はちゃんと存在します。
むしろ、以前より強まっているように感じる瞬間もあります。

同期は全体的に私より若く将来性があるから。いや、この世界に戻ってきた時点で、私は一生このダンサーを諦めた現実に向き合わなければならないのだと思います。何せ、ダンサーを育てる立場の勉強をしているわけで、将来に繋げる職業だから。

プロを経験した方が認められやすいこの世界。私は本当にミジンコのような存在感です。だから、生徒に信頼してもらえるようになるには、自分はどういうアプローチで生徒を助けられる先生になるか、考える必要があります。
それは公平な姿勢を求められると同時に感情表現を教える場でもあるので、自分の引き出しは今のままではダメだと思っている部分が大きいです。

そう。私のこれから強みになっていくであろうことは、
「手に入らなかったもの」を悔やむ自分を通してあれこれと探した先にあるのだと思います。

例えば、私は「プロとしてこの方法が認められた」と身体感覚的に教えるというよりかは、どうすればその動きを導けるか根本的に熟考し、バレエ内に止まらない視野で伝えることだと思います。そのために現在フランスで、解剖学や舞踊史、音楽、そして舞踊譜を学び、舞踊学の実践に身を投じつつ、西洋文化を身近に経験しながら言葉や体の表現力、語彙を増やしています。

とりあえず、このアプローチをマスターする必要性を感じている今、古傷に少しずつ向き合っています。こんな自分は100%好きとは言えないですが、期待できる自分でいることで「自分らしさ」がどんどんいい方向に生まれてきていると感じています。

最後に

今の心境を私なりに絵で表現してみました。

 Rêve, ぱれすぅ〜より


Rêveはフランス語で「夢」の意。
夢は泡のようにたくさん増えてカラフルで今にもはじげそう。
そこには闇もあって。
でも、夢を追っているときはそんな暗い一面を吹き飛ばしちゃうくらい楽しい部分だってある。それを忘れないで。
そして、冒頭の宇多田さんがおっしゃったように、「失う」ことで新たな自分ができ「自分らしさ」ができてくる。
泡が割れることを恐れず、失ってもまた新たな泡を作って生きていく。
それが現在の筆者の抱負です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?