見出し画像

改めて自己紹介

最近よりいっそう活動の幅が広がってきて初めて会った人、久しぶりに会った人への説明に時間がかかるので改めて自己紹介としてまとめなおそうと思います。

田代 雄斗 (Tashiro Yuto) 30歳
愛知県豊橋市出身(高校まで過ごす)
京都大学医学部人間健康科学科を通して理学療法士免許取得(1年留年して5年行く)
大学時代はボート部に所属
京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻修士&博士(博士論文はまだ通ってないので、現状は単位取得満期退学)
既婚、一児の父
株式会社HILUCO founder 代表取締役

ざっと上のような経歴になりますが、意味不明なところもあると思うので時系列を追って自己紹介をしていこうと思います。

地元愛知県での生活

生まれは愛知県の豊橋市というところです。名物はあまりありません。。強いて言えば駅前の路面電車、なめし田楽、鬼祭り、のんほいパーク、最近は豊橋カレーうどん。ちょっと今は余裕がありませんが、いずれ地元の活性化に関する活動もしていきたいなーと思う今日この頃です。

父はサラリーマン、母は専業主婦というよくある家庭で子供の頃は平凡な毎日を過ごしておりました。小学生の頃は低学年はガリガリ、高学年では少しぽっちゃり、水泳部に所属していてそれほどスポーツが得意でもなく、少し勉強はできるような子供でした。昔から学校の宿題は帰ったらすぐに終わらせ、夏休みの宿題なども先に終わらせてあとは好きなだけ遊ぶというような性格だったようです。テレビゲームが好きで4年生頃からもう目が悪くなり、そこから眼鏡生活が始まります。

中学校の頃も小学校と同じ水泳部に所属、勉強もそこそこ、相変わらずのゲーム好きで平凡な毎日を過ごします。高校は一応地元の公立進学校に進みましたが、1年・2年のうちは本当によくいる高校生として平凡に過ごしました。部活は相変わらず水泳部、遊びは友達とカラオケか、ファッションに興味を持ち出していたので古着屋をまわってりしてました。高校2年の後半くらいにひょんなきっかけで京大を目指し始めたわけですが、そこからは鬼のように勉強しました。詳しくは下をご覧下さい。

京都大学へ入学

必死の猛勉強の結果、無事京大に現役合格したわけですがそこで勉強に対する意欲は使い果たしてここからは脳みそ筋肉生活が始まります。ボート部に入学してから、基本朝4:30〜5:00くらいに起床、2時間ほど練習、朝ごはんを食べて学校まで自転車小一時間、学校で授業(後ろのほうの席で💤)、授業が終わるとまた滋賀の合宿所まで自転車、夕方の練習をして晩御飯、9:30に起床。と、いくよくいるボート部員の生活ですが、なかなか壮絶な生活をしていましたね。

でも自分にとっては初めてスポーツに本気になって全国のトップレベルを目指せる環境での生活は大変刺激的なものでした。結局全国レベルの大会でメダルをとることはできずじまいでしたが、インカレや全日本選手権で5位になったり、国体の京都府代表に選ばれたりもされたことは自分の人生にとって思い出深い出来事になりました。

そしてこのあたりからスポーツに関わる仕事をしようと思い出して活動を始めるわけですが、これもなかなか大変な日々でした。詳しくは下をご覧ください。

大学院へ進学

大学の学部時代は部活ばかりで勉強もあまりできていなかったので、大学院ではいろいろと勉強をしましたがこれもまた刺激的な日々でした。大学院では学部で1年留年したこともあって、1つ下の学年と一緒だったことや、外部の大学からも入学する人がいたりもして多くの同業種の人と知り合いこともできていろいろな考え方や生き方に触れることができたので、自分の人生を考える中でも大きな影響を受けたと思います。大学院で行った詳しい活動に関しては下を参照下さい。

また大学院在籍中に共通の知人からの紹介で会った人と結婚をすることになり、今では娘も産まれてプライベートに関しても充実した日々を今送れているのでそれも大きな変化だったなーと思います。

個人の仕事

大学の学部生の頃は寿司屋のバイトや、イベント設営のバイトなどもしていましたが、大学院になると小学生ボートクラブでのコーチ、整形外科での非常勤勤務、地域の介護予防事業での運動指導、スポーツイベントでの救護活動など、少しずつ専門職らしい仕事になってきました。

今ではコンディショニング中心のフィットネスジムでの勤務、健常&障害者スポーツチームでのトレーナー業、大学の非常勤講師、大学での研究員などより専門性の高まった仕事もさせていただけるようになってきました。理学療法士といった医療関係の仕事は臨床・教育・研究の大きく3本の柱で表現されることが多いですが、せっかく国家資格を取得したからにはやはり全ての経験を積みたいと思っていたのでまだ内容は未熟ではあるものの、少しずつ全体像が見えてきました。

今までの仕事は基本的にどこかの組織から雇用されたり、依頼を受けてやるような形の仕事になりますが今年はそろそろ自分でシステムを作って個人事業として行う仕事も増やしていけたらと思っています。その中でも力を入れたいと思っているのはオンラインサロンです。最近では若手の同業種の後輩などから将来の相談を受ける機会も増えてきて、学歴は関係なくやはりやる気のある人の成長に関わるのはとてもやりがいを感じるので、サロンの中でティーチング・コーチングそれぞれを行って一緒に成長していける人を増やしていけたらと思っています。

それ以外には、このnoteやTwitter、Instagramなどでも今後力を入れていけたらと考えています。

設立した株式会社の仕事

個人の仕事としては、自分自身が求められること、出来ること、やりたいことをベースに仕事をしていけたらと思いますが、今まで得た知識や経験を通して社会全体を見た中で改善の必要性があって、それは個人の力では成り立たず組織的な活動が必要であることも見えてきた為、株式会社を設立しました。

主に見据えているのは障害者の支援です。障害者の支援にも様々の形がありますが、大きい軸としては障害者雇用です。日本国内においては約10%弱くらいの方が障害を有していると言われており、法定雇用率というものが設定されて企業や行政などで障害者の就労を促進しようとする動きがあります。しかし、未だ法定雇用率を満たせている企業は半数程度にとどまっている状況や、就労前の教育や就労後のアフターフォローの仕組みはまだ不完全であると思われます。社会に必要なことをボランティアではなくしっかり事業として成り立つ形にシステム化したいと思っています。

株式会社という組織にするからには、自分にしかできないような仕事の仕方ではなく属人化していない多くの人でもできる仕事の形を作っていこうとしています。現在進行中プロジェクトはいろいろあって詳細はまだお伝えできませんが、健康管理のためのアプリ開発、認知機能にアプローチするVRコンテンツ開発、身体機能評価のためのwebシステム開発などを進めています。また、障害者支援に関する様々な情報を発信するwebサイトとして"YOLOZU"をスタートしました。興味のある方は読んでいただけたらと思います。

根底にある想い、今後のビジョン

今では様々な方面で仕事をさせてもらうようになりましたが、全てに共通する根底にある想いがあります。それは"平和"です。過去の歴史にあるような世界的な戦争はなくなりましたが、今でもテロや抗争によって罪のない人の命が失われることもあります。また発展途上国には飢餓に苦しむ子供もいるし、自分の今見据えている障害者だけでなく、LGBTや人種などで差別を受けて苦しんでいる人もいます。自分はこの豊かな日本にうまれて食べるものにも困らず幸せな生活を送れていますが、やはり少しでも困っている人の力になりたいと思っています。

そう思ってはいるものの、やはり自分の力で出来ることには限りがあります。実際まだ社会的な地位もお金もなく、影響力はとても小さいのが現状です。でも根底にある想いを元に今の前で出来ることをやるしかないと思っています。一緒に頑張れる仲間が欲しいな、という思いもあり今回自己紹介を改めてまとめてみました。30歳になった今年からまた頑張ります。


より読者のみなさまのためになる記事執筆の活動費にあてさせてもらえたらと思っています。もしよければサポートお願いします!