見出し画像

2021年東京のゼッケン 連載第3回

 時刻は12時40分過ぎ。
 車いす男子(T54クラス)1500m予選2組に出場する選手10人がスタートラインに並び始めた。一番外側のレーンから順番に出場選手が英語で紹介されている。スタートの予定時刻まで残り時間が少ないのか、アナウンスの声の速度がやや駆け足気味で、選手の氏名を立て続けに読みあげた。映像用のカメラがアナウンスのすぐ後ろを追いかけるように、選手一人ひとりの姿を捉えていく。カメラが捉えたものは、競技場の大型モニターにも映し出された。

 日本代表の鈴木朋樹が出場を予定している個人種目は800m、1500mとマラソンの3種目だ。この1500m予選は、彼にとって東京パラリンピックの最初のレースとなる。
 パラリンピックは、他の国際大会と比べて注目度が高い。テレビや新聞など一般向けの報道が一段と増える。まして今回は、自国開催のパラリンピックだ。所属企業や周囲からの期待は大きく、応援の声も多数寄せられているに違いない。緊張せずにレースに臨むことは簡単ではないだろう。鈴木は、余計な緊張を解いて、自身の力を存分に発揮できるだろうか。
 世界各国の代表選手たちも、このパラリンピックに向けて仕上げてきたはずだ。海外の強豪選手たちと比べて、鈴木の実力はどの程度なのか。全力を出し切る走りができれば決勝に進出できるのか。メダル獲得を期待していいのか。私には、まったく予測ができなかった。

 予選2組に出場する選手のリストを手元に出し、鈴木と競い合う選手の顔ぶれを確認した。過去のパラリンピックのメダリストが含まれている。
スタートラインのちょうど中央、4レーンの選手は白いタンクトップのユニフォームの両袖から、墨色のタトゥーを入れた腕が出ている。肩から肘にかけて大きな筋肉の塊を包むように、幾何学的な模様が墨色で描かれている。選手は両腕をだらりと垂らし、肘をレーサーの上に載せていた。
黒いサングラスをかけており、瞳の動きは見えない。口もとはキュッと一文字に結んだままだ。
 場内アナウンスが、2012年ロンドンパラリンピック金メダリストだと紹介した。映像のカメラが選手の表情を捉えようと寄ったが、彼はそれを避けるように俯き、地面を見た。
 隣の3レーンでは、選手が被っている銀色のヘルメットが、太陽の光を受けて輝きを放っている。スイスの国旗の色から採用したと思われる純白のユニフォームが、その輝きをよりいっそう引き立てている。トレードマークのヘルメットから彼に付けられたニックネームは「銀色の弾丸」だ。
腕の太さは、タトゥーを入れた隣の選手と比べるとやや細く、長い。ただ、華奢というわけではなく、細い筋状の筋肉が皮膚の下に凝縮して詰まっているように見えた。
 彼は、この東京パラリンピックで5000mに出場し、金メダルを手にしている。5000m決勝のレースでは前半から先頭を獲り、2位以下の選手たちと明らかな差をつけ、確実に優勝を獲りにいっていた。彼は、5000mの金メダル1つで十分などと思ってはいないだろう。2016年のリオでは800mとマラソンの2冠だったが、それ以上の数のメダル獲得を狙っているに違いない。
「銀色の弾丸」は、自分の名前がアナウンスされると、カメラに向かって右手を挙げて応えた。口角が少し上がり、穏やかな笑みが広がっていた。


 鈴木は、トラックの一番内側、1レーンにいる。背筋を伸ばして座り、両腕は肩から下へ力を抜いた状態で垂らしている。視線は前方に注がれているが、特定の何かを見ているわけではないようだ。第三者の視点に立って、今、スタートラインにいる自分の状態を観察しているように見えた。
 鈴木の様子を一言でいえば、落ち着いている。ただ、落ち着いているというだけでは、足りない。緊張感を伴った落ち着きと言えばいいだろうか。自分と外界との間に透明なフィルターを一枚挟んでいるようだ。そのフィルターを通して、自分に必要なものだけを取り入れ、それ以外は寄せつけない。そういう状態をつくって、号砲が鳴るまでの時間を過ごしているように見えた。

画像1

 鈴木は2015年にカタールのドーハで開催されたパラ陸上世界選手権に、日本代表選手として800mと1500mに出場している。両種目とも決勝進出は果たせなかったが、次のパラリンピック出場を期待される選手になっていた。
しかし、2016年にブラジルで開催されたリオ・パラリンピックに、鈴木の姿はなかった。パラリンピックは、世界選手権など他の国際大会と比べて出場選手の選考条件が厳しい。国際パラリンピック委員会(IPC)が定めたルールに沿って、出場選手の選考がパラリンピック開催の約2年前から始まる。陸上競技の場合は、パラリンピックの前年に開催されるパラ陸上世界選手権で上位に入ることや、一定の期間内に世界パラ陸上競技連盟(WPA)の国際ランキング上位に位置していることなどが求められる。
 鈴木は、2016年のリオ・パラリンピックに出場するために必要だった国際ランキングの基準をクリアすることができなかった。


 リオ・パラリンピック出場を逃した悔しさがなかったわけではないだろう。しかし、鈴木は、どんな結果でもその結果を事実として冷静に受けとめる。そして、その事実を踏まえて、次の目標設定を明確にする選手だ。
 彼は2020年の東京パラリンピックに照準をあわせ、着々と準備を進めてきた。東京パラリンピック出場資格が掛かっていた2019年4月のマラソン世界選手権(ロンドンマラソン)で3位に入り、男子T54クラスの日本人選手の中で、誰よりも早くパラリンピック出場を確実にしていた。
 新型コロナウイルス感染症の影響で1年延期となっても、鈴木は自分が立てた目標に向かって入念に準備してきたに違いない。

 映像用のカメラが、1レーンにいる鈴木に寄った。競技場のモニターに映し出された鈴木は右手を挙げ、左右に軽く振った。口もとは結んだままだが、わずかに口角が上がっている。
 「…あぁ」
 口から漏れた自分の声を耳にして、私は一瞬、戸惑った。ため息でも、安堵でもない。それが、一体、何なのか。自分に尋ねたが、答えはすぐに見つからない。
 『オン、ユア、マークス』
 スタートラインにいる選手たちの両手が一斉にハンドリムに添えられ、一同の動きが止まった。
 号砲が鳴った。
 黒いフレームの車体がいち早く、前方へ飛び出していくのが見えた。(つづく)

(文・写真:河原レイカ)

よろしければサポートをお願いします。障害者スポーツ(パラスポーツ)の面白さ、奥深さを伝える活動を続けています。応援よろしくお願いします。