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疑似科学を放置すべきでない理由

疑似科学は疑似であるがゆえに検討に値しないのか?
「それはあり得ない」で済ませて良いのか?
調べる前に怪しいと切って捨ててよいのか?

それよりは、公平かつ客観的に研究しその成果を公表する、少なくともその方向で努力するというのが、科学者として正しいスタンスであろうと、私は思います(※)。

神経科学者のテレンス・ハインズはその著書”Pseudoscience and the Paranormal” (Prometheus Books, Buffalo, N.Y., 1988)(※2)の中で、疑似科学や超常現象の話を、それらを信じない科学者や学者がなぜ真剣になって検討するのかについて、四つの理由を挙げています。

  1.  ひょっとしたら本当かも知れない。

  2.  間違いであるということを白日の下に晒すことに意義がある。

  3.  疑似科学や超常現象の研究と心理学的問題が結びつくことがある。

  4.  疑似科学の言うところを安易に受け入れることの危険性。

1) 疑似科学の主張するところは、ひょっとしたら本当かも知れない

当初は疑似科学扱いだったが、のちに実在する現象もしくは効果であることが判明した歴史上の事例としてハインズは、催眠術、鍼灸術、そして隕石の三つを挙げています。

催眠術については、もちろん未だに疑似科学の域を出ないものもありますが、精神療法として組み入れられている催眠科学は存在し、科学として発展しています。

同様のことが鍼灸治療についても言えます。

もともと中国で古代より痛みを取り除く術として継承されてきましたが、日本では大正時代に鍼灸を取り入れた教育機関(私立)が設置。

西洋で注目されるようになったのはさらに遅く、1970年代の米中国交正常化以降でした。

実験により鍼灸による痛みの軽減が事実と判明し、またそれがエンドルフィンの分泌によることも分かってきました。

宇宙からの隕石の飛来が現実のものであることは今となっては常識ですが、18世紀まではあり得ないこととして、今のUFOに対するのと同様の扱いを受けていたらしい。

こう書くと、UFO(未確認飛行物体というにとどまらず宇宙人の乗り物としての意味で)も存在するのでは、という疑問も生じるわけです。

もちろん隕石がそうであったように、その可能性がない訳ではないですが、事はそう単純ではないでしょう。

「あるはずだ」とか「あり得ない」の論議だけでなく、隕石の問題同様その現象そのものを突き詰めていくしかないでしょう。

私に言わせれば、ことUFOに関してはその辺が余りにも曖昧過ぎます。

2) その疑似科学のテーマが仮に間違いだったとしても、「間違いである」ということを白日の下に晒すことに意義がある

誤りなのに誤りかどうか明示されず、ただ疑似科学信奉者が「本当だよ」と喧伝するがままにしておくのは、誤情報の蔓延につながり危険です。

根拠がないのならその根拠のなさを、考え方に誤りがあるのならどう誤っていると考えられるのかをいちいち解明してく動作は必要でしょう。

3) 疑似科学や超常現象の研究と心理学的問題が結びつくことがある

血の涙を流す、あるいはガラスの粒が目から出るという子供の事例が報告されています(拙ブログ「人をあざむく様々な事情」)。

これだけだと超常現象的ですが、のちに判明したのはそれらはいずれも本人たちが自分の意志で行った戯言のたぐい。

彼女たちの置かれた立場に起因した精神的な不安定さや社会的な背景があったのです。

現象だけに捉われ、オカルトだからと放置したのであれば、当事者の精神の問題や社会復帰、社会的背景に目を向け解決することはできなかったでしょう。

4) 疑似科学の言うところを安易に受け入れることの危険性

これは科学を謳うカルト宗教の例を挙げればわかりやすい。

信者はその信念に基づき行動を起こしますが、それは時として他者や自身に危害を加えることとなり、場合によっては命を危険にさらすこともあります。

科学技術の発展と共に迷信のたぐいが減るどころが増える傾向すらあることも付言しておきます。

例えば丙午(ひのえうま)の迷信。

前々回、1906年(明治39年)の出生数はその前年より4%減なのに対し、前回、1966年(昭和41年)は25%減と大幅に減少した。

この世代はちょうど私の一学年上の世代で、確かに学級数が他の学年より一つ少なかった。

次回はこの稿を書いている三年後の2026年、果たしてどうなるんでしょうか?


こうやって見てくると、疑似科学にカテゴライズされる分野に対する科学研究の独自の重要性が明らかになってくるのではないでしょうか。

しかし現代日本の科学コミュニティでは、疑似科学をまじめに研究対象とすると言うよりは、「そんなのあり得ないよ」と一笑に付す「冷笑系」が、まだまだ多いように感じます。

「あり得ない」を口にしている当人がもし科学者を自認するのであれば、そのあり得なさを深掘りする責任くらいは自覚すべきでしょう。

(※)「公平」とか「客観」とか口にしたとたん、「科学者も人間だからそれはムリだ」とか、「人間の認知や知覚から自由な客観など想定すること自体無意味」とか何とか、メタを気取って全力で否定してくる人がいます。それはそうかも知れないのだが、ここで言っているのは「研究結果が、研究者の好みや恣意性などといった個人の意思の影響からは自由な」という意味での客観性。やはり科学者はそこを目指さなくてはならない。もし何らかの理由を付けてそういうものを軽視・棚上げする自称科学者がいても、私的にはそういうのはマッドのたぐいだと思っています。

(※2)邦訳本は「ハインズ博士『超科学』をきる」(井山弘幸訳、化学同人、1995)。

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