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物質世界を「越えた」見えない世界?

「この世は物質文明、今までは「目に見えるもの」が大事だった。
しかし実際には「見えない世界」があるのであり、これからは目に見えないものに価値を置く時代」

細かい言葉遣いの違いはあれど、このようなたぐいの言い回し、本当によく耳にします。
特にスピリチュアル方面の人がよく口にしているように思うのですがどうでしょう?

言いたいことは分かるし一見すると正しいようにも思えるのですが、よく考えてみると言葉の使われ方に曖昧さがあることに気付きます。

「物質」ってそもそも何なん?

物質概念の相対性

いや実はこれ、結構深い問題ですよ(笑)。

日常生活で目にする身の周りのモノ、すべて物質ですよね?

そう、形のあるカチッとしたもの。

いや、でも中には豆腐やこんにゃくみたいなグニャッっとしたものも。

そう言えば水も空気も物質じゃん。

空気ですでに「目に見えない物質」が体現されているわけですが、これで鬼の首を取ったように「目に見えない物質だってあるよ!」と声高に叫ぶのも大人げない。

おそらく冒頭の文章の言う所の「目に見えない」とは、「人間の感知し得ないもの」ということなのでしょう、違います?

そしてもしそれが、
今現在だけでなく未来永劫行く先々まで感知できないような、
とにかく人知の及ばない超自然的な存在・エネルギー・パワー(神様?)を意味するのだとしたら‥

自然界に切り込みこの宇宙を支配する法則性を見出そうと積み上げられてきた先人たちの英知と努力を、余りにも軽視し過ぎてませんか?

いや、「永久に人知の及ばないもの」自体はあるでしょう。

人類の歴史があと何万年続いたとしても、人類の知見はこの自然の深淵を知り尽くすところまではおそらく達しない。

そう考える方が自然です。

けどね、「ここまで知ることはできるけどここから先は絶対ムリ」などと、現代人が今持っている知識だけで勝手に線引きできる、と思っちゃいけません。
それは余りにも傲慢というものでしょう。

だってそうでしょう。
科学の発展の歴史は人類の智慧拡大、知り得る法則性の一般化・普遍化、そして「それまで感知し得なかったものの可視化」の歴史。

唯物論とは?

最初の問いに戻ります。「物質」とは何か?

古代の、それは根源的には「水である」とか「火である」とかの始原的な議論から始まり、中世には錬金術と共に化学が発展し、分子や原子が認識対象に。

古代には認識できなかった「原子」の描像(抽象的な概念としては存在したが、具体的な存在としての)に、膨大な人の手による永年の実験・観察の成果を通じて中世には何とか至ることができた。

20世紀初頭の量子力学成立の過程で、物質粒子はいわゆる古典的な粒子的性質と波動的性質を併せ持つことが明らかに。
この時点でもう、「カチッとした」存在ではなくなりましたねー。

「場」の概念をもってこの「粒子性」と「波動性」を統一的に理解できるようになったのはだいぶ後のこと。

今ではさらに細分化され6種類のクォークとレプトンの存在が実験的に示されています。

(あ、これらはフェルミ粒子に分類される「物質粒子」であり、それ以外に光や重力子などを含むボーズ粒子が知られ、全て「場」として記述されます。そういう意味では現代物理学は既に「非物質」を扱っているとも言えるゾ(笑))

そして今はまだ仮説の段階ですが、これら素粒子の多様性はよりシンプルに、「ひも」の振動様式の違いで表されるとする「超弦理論」もあります。

超弦理論はいわば物質粒子の「再定義」、とでも言えるのではないでしょうか?

私のPF理論は、未だ感知せざる(だが将来は感知できるであろう)未知の次元空間にのみ存在するフェルミ粒子(物質粒子)の存在を主張しています。

これなどは、物質粒子の「概念の拡張」と言えるでしょう。

ひとくちに「物質」と言ってもその定義は、科学の進展とそれに伴う人類の智慧の深化により、時代と共に変化する。

完全な真理に完全到達するのはムリとしても、それに一歩一歩近づく(よりマシな科学的モデルを構築する)ことは可能。

そう信じて科学者たちは、法則性を仮定⇒実験による検証⇒新たな現象の発見⇒新たな法則性の提案⇒その検証⇒‥、という無限ループで仕事をしているのです。

目新しいようで新しくない「不可知論」

唯物論を矮小化された物質概念に押し込め、「この世界には物質以外のものがあるはず」で反駁した気になるのだとしたらちょっとお門違いかな、と。

メンドクサイ言い方すると、実験や観察を通じた検証、および演繹的推論、帰納的推論の併せ技で「よりマシな科学モデル」(=人間の立場からの世界認識)に近づく動作、これが唯物論的科学研究と言うことになるのではないでしょうか。

絶対的に人知の及ばない「見えない世界」を想定するのは簡単ですが、その論法ではいずれまた簡単に不可知論に陥ってしまいます。

信じる・信じないの世界というのであれば、宗教と変わりなし。

もちろん「いやこれは宗教だよ」と言うのであれば、なにも問題はないのですがね。

その人がそう信じているだけなのですから。

○Kindle本
「再会 -最新物理学説で読み解く『あの世』の科学」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0973XR53P

○ブログ“Beyond Visibility”
不思議現象を「根拠をもって」科学する
科学は、ホンモノこそが面白い
https://parasitefermion.com/blog/

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