エビデンスは万能にあらず
世間ではなにやらエビデンスという言葉が「流行り」らしい。
私自身はこの言葉を以前から使用していたので、なぜ流行っているのかはよく分かりません。
どうやらネットを介して一般の人でも様々な情報、特に専門的な情報に接することが容易になり、かつSNSで他者との交流も活発になる中で、意見が食い違った時に「それエビデンスあんの?」などと、相手に論拠の提示を迫りつつその場でちょっと優位に立とうという、野暮なモチベーションが背景にあるような気もしますが、どうでしょう?
無根拠なデマを流布しようとする輩には、論拠をただすことは一定の歯止めにはなるかも知れません。
エビデンス信奉は危険
しかし注意しなければならないのはエビデンス万能論、つまり「エビデンス=科学的真理」という図式は必ずしも成り立たない、ということ。
そもそも 科学的真理って?
科学研究で得られた知見と言っても、どんな条件と仮定の下でその科学的知見が正当化されるのかを正当に評価しなければなりません。
その意味では絶対的な「真理」などと言うものは存在せず(存在したとしても人類はそれを手にしていないと考えるのが自然)、科学知識はどこまでも相対化して考えるべきでしょう。
Evidenceはそのまま訳せば「証拠」となりますが、今話題にしているエビデンスという言葉は、主に医学の現場で治療法を決める際のロジックの中で生まれました。
一般的には「科学的根拠」という意味で使われています。
エビデンスと一口に言ってもそれは玉石混交であり、確度の高いものからそれほど価値のないものまで、様々なものがエビデンスの名のもとに世の中に出回っている、ということを心に止めておかなければなりません。
ではエビデンスの価値とは?
エビデンスピラミッドというものがあります。
確度の高い方から順に、1)メタアナリシス、2)ランダム化比較試験、3)調査データ分析、4)個別の事例研究報告、5)専門家の意見。
一つ一つ説明すると長くなるので控えます。
これについては色々な本が出ていますから、興味ある人は参照してください(例えば「『エビデンス』の落とし穴」、松村むつみ、青春出版社(2021))。
個々の専門家の意見は参考程度に
ここで注目して欲しいのは、5)の「専門家の意見」。
専門家の言うことは、その分野に関してはもちろん傾聴に値するのは間違いないですし、一般の人から見れば権威あるように見えますが、エビデンス(=科学的根拠)という視点から見ると最下位ですよ、一番下。
手間はかかりますがこの情報化社会、意思決定の際には一専門家の意見に捉われすぎず、多様な意見を自ら求めていく動作が必要です。
サプリメントなどの健康食品や健康器具が、専門家の推薦の言葉と共に売られていたりしますよね。
「○○博士」とか「○○学会発表」とか「○○研究所」とかの権威付けも当然あります。
研究室内の写真とか、下手すると数式まで出て来たり‥。
その人が専門家なのは事実だとしても(それすら怪しい場合もあり)、そりゃ広告の中ですから商品に都合の良いことを載せているわけで。
仮に、その人が本物の専門家でかつその人なりの本音を言っていたとしても、思い出してください、エビデンスのランクとしては一番下です。
※この手のECサイトによくある「○○したら△△が改善しました」的な個人の体験事例の寄せ集めは、当然ながらエビデンスの範疇にすら入らず、論理的にはそこから何の結論も得られません。
繰り返しますが、いろんな情報を集めてみましょう、自分の手で。
まずは練習として、今読んでいるこのブログをまず疑い、他の情報を集めてみてください(笑)。
○Kindle本
「再会 -最新物理学説で読み解く『あの世』の科学」
○身近な科学ネタを優しく紐解く‥
ネコ動画ほど癒されずEテレほど勉強にもならない「お茶菓子動画」
見えない世界を科学する「見えない世界の科学研究会」
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