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生き方上手になりたい。

 Photoshopを買いました。どうもコーシです。

 先日、大学のコンビニで友人が利用しているレジに並んでいた。すると私の後ろからやってきた一人の大学生が、先に空いた隣のレジに向かい、私の横を通り過ぎていった。

 「俺の方が先に並んでたんだから声くらいかけようぜ!」とは一瞬思ってしまったものの、直後、普通に空いたレジに気がつけなかった自分が情けなく感じてしまった。その時僕はスマホも何も見ていなかった。ただただ友人が買おうとしているアルフォートと水のバーコードが読み取られていく様子をポケっと眺めていた
 ましてやその後、自分のお会計の時にPaypayを画面に表示させるのを忘れていて、少し店員さんを待たせてしまった。

プライベートの時間において私は本当に視野が狭い
 授業や会議における話し合いやディスカッション、最近はやってないがプロジェクトを運営するときなどでは、自分の視野を狭めない努力をしている。そこには少し自信がある。客観的な思考を意識しすぎて自分の意見が言えないことがある。
 その反動なのかも知れないが友達と遊んでいる時やひとり時間を過ごしている時には、自分の注目に没頭してしまう感覚が強くある。

 このクセによる弊害は止まることを知らない。

私は電柱にぶつかったことがある。本当に。今この文を書いていて自分でもびっくりした。なかなかいないんじゃないか?電柱にぶつかったことがある人って。

 私がインドカレーに目が無いのは言うまでも無いだろう。インドカレー屋さんの看板を眺めていたら、見事電柱に正面からぶつかったのだ。しかも眺めていたのは別にメニュー表とかではない。ただただ店名が書かれている看板を見て、味を予想していた。独り、人混みを歩いている時だった。孤独だった

 私は視野が狭い。

人には体力というものがある。視野が広い人というのは自分の体力を完全に理解し、1日の終わりにちょうど体力ゲージが0になる生き方ができている。私だって自分の体力くらいは分かる。しかし調整は出来ない
体育の授業は楽しい。ついつい全力プレーをしてしまい、終わった頃にはもう帰って寝たい状態になっている。
 「よし、今日は帰っても課題をやらなきゃいけないし、ここは少し体力をsーぶしておこう。」毎回心掛けている。しかし毎回体育が終わった頃には必ず息を切らして地面を這うように歩いている。「もう歩けねぇ!」なんて言っている。みんなはまだ余力がありそうだ。孤独だ

 私は生きるのが下手なのかも知れない。

 私は寝る前に1時間くらいかけて次の日の予定を分単位で手帳に書いている。そうしないと翌日という一日が「何しよっかな♫」で終わってしまうのだ。
 時折、あまりにも時間を忘れて計画を立てすぎてしまい、翌日寝不足でその分単位のスケジュールをこなす日がある。
 生きかた上手な人はこんなスケジュール表を作らなくても毎日を充実させることができているのだろうか。だとしたら尊敬に値する。

 遅刻をするのが嫌いなので、待ち時間の30分前くらいに集合場所に着いてしまう。正直その30分間を使ってやりたいことはたくさんあるのだが。
 せっかくだから集合時間まで周辺を散策しようと試みて、遅刻することもある。集合相手からしたら軽いホラーだ

 多分私は少ない自由時間において、「効率」とか「時間短縮」などを意識して無さすぎるのかもしれない。「自由時間」の”自由”というフレーズを心に刻みすぎている。

 先日、父がこんなことを言っていた。「時間はお金じゃ買えない。」

 私は、おそらく時間をお金で買えたとしても、その時間の使い方を計画することで、買った時間を消費することになるだろう。もし私が言うなら、

時間をお金で買ったとて、。」となりそうだ。

 私は生き方上手になりたい。

 コーシ しそとツナ缶。
 Instagram @kohhhhhshi.f (アート投稿中!)
 Twitter @kohhhhhshi_f

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