センスって何。
人生で初めてスーツを買いました。どうも、コーシです。
小学生の頃、私は地元の野球チームに所属していた。人生でもトップレベルに楽しい思い出のひとつなのだが、何より当時のチームの監督が本当に良い人だった。野球を教わる以前に社会で生きていく上での1番基礎の部分を監督から教わった。監督は私の恩人である。
挨拶や物事に向き合う姿勢、責任感、コミュニケーション、努力の大切さ。人生のあらゆる面で監督の教えは役に立っている。
印象的な思い出として、監督は「言われるうちが華」という言葉を私に体現してくれた。
監督は私が自宅で自主練をしているかを完璧に見抜いていた。鼻くそほじって自主練をしなければ本当に何も教えてくれなかったし、自主練をすれば手取り足取り全てを教えてくれた。
監督はバットもキャッチャーミットも監督のものを私に貸してくれた。今思うと私は少し気に入られていたのかもしれない。そんなことをしていただいては、私は練習せざるを得なかった。
そんな監督が頻繁に口にする言葉があった。
「俺は"センスが良い"と言う言葉が大嫌いだ。」
小学生の私は「まぁこの人が言うなら悪い言葉なんだろうな。」くらいにしか思っていなかったのだが、最近になってこの言葉をよく思い出す様になった。
"センス"ってなんなんだろう。
あるとすれば私にはどんな”センスの良さ”があるのだろう。
なぜ監督は”センスが良い”という言葉を嫌っていたのだろう。
真っ白。俺はセンスにゆかりがなさすぎるのかもしれない。このテーマでエッセイを書き始めたことに後悔している。もうすでにセンスが無さすぎる。
まぁこないだまで受験生であった事実を遺憾無く発揮すると、センスの意味は「感覚」であると言える。感覚が優れている=センスが良い、ということになる。
感覚というと、あまり考えず、生まれつきの直感的なイメージがある。
そしてまた感覚というと、努力や計画、積み重ねなどとは若干対極的なイメージがあるのは私だけだろうか。
監督はそこを嫌っていたのかもしれない。"センスが良い"という言葉の意味、良いうより、”センスが良い”と言った人間の真意”を嫌っていたのかもしれない。
”センスが良い”というと「生まれつきすごいね」感を感じる人もいるのかもしれない。私は別にポジティブそうなことを言われるとなんとなく喜んでしまう素直だけが取り柄の人間なのでそこまで思考は回らないが。
努力で培ったこのを"センス”の一言で解決するのはあまりにも本人の努力や苦労を甘く見ているのかもしれない。あーこれは大事だわ。すごい、監督。
そして監督は僕らに努力を怠るなと伝えてくれていたのだろう。
おそらく、監督論の中ではセンスなんて存在しなかったのかもしれない。もしそれが存在していたとしても並々ならぬ努力で手に入るものだったのだろう。
私も、生まれつきの才能というものはなるべく信じない様にしている。努力した人を相手にそんなことを言うのも失礼だし、何より、そんなものがあったら私は自分に絶望してしまう。
もちろん体格や性格は生まれつきのものはあるかもしれないが、才能に関しては磨きをものだと信じている。
信じる様にしている。
信じてなんとか頑張っている。
信じとかないとやっていけない。嫌になっちゃう。
とにかく人のセンスや才能の裏には莫大な時間と想像を絶する体力の消費などがあって、それは我々の理解を超越したものであることを忘れてはいけない。もともとあるものなんかではない。多分、監督はそう伝えたかったのだろう。
私も、文章の才能とセンスに磨きをかけよう。
そしてもしセンスが良いなと感じる人に出会ったら、「よくここまで磨き上げたね。」と意味不明な発言をして、その人の困惑の笑顔を眺めたい。
コーシ しそとツナ缶。
Instagram @kohhhhhshi.f (アート投稿中!)
Twitter @kohhhhhshi_f
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