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千と千尋で育った私が「君たちはどう生きるか」を語る

※映画本編のネタバレを含みます

はじめに

私が生まれて初めて映画館で見たジブリ映画は、『千と千尋の神隠し』でした。
公開された2001年当時、私は11歳。ちょうど、千尋と同じ年ごろです。
湯屋の世界へ迷い込み、オロオロと逃げ惑っていた千尋。
リンや釜爺に仕事を教わり、気がつくと湯屋で活き活きと働いている千尋。
愛するハクを助け出すため、夢中で湯屋を飛び出してゆく千尋。

母に買ってもらったビデオを何度も見返すうち、11歳の私は「この映画は、まさに私の物語なんだ」と思うようになりました。

それからのめり込んだ、宮崎監督によるアニメの世界。
「アルプスの少女ハイジ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「耳をすませば」―――。少女達は、お話の中でたくましく生き、自立心を備えた大人へと成長します。
そんな姿を拳を握って応援する私。私の少女時代は、宮崎アニメとともにありました。

さて、最新作「君たちはどう生きるか」は14歳の少年の物語です。
太平洋戦争から3年目の東京。火事で母を亡くした主人公眞人が、疎開先のお屋敷にある石の塔へ迷い込むというお話です。

20年前を生きた少女の物語『千と千尋の神隠し』と、今夏公開された『君たちはどう生きるか』。
現代の少年達は、この映画を見て何を思うのだろう?

千尋と私は、どう生きたか。
眞人と君たちは、どう生きるか。


塔の世界と湯屋の世界

石の塔とは

まずは、眞人が迷い込んだ世界について解説する。
石の塔とは、眞人の疎開先の屋敷にある謎の建物。石の塔は、眞人達が暮らす「上の世界」とは別の「下の世界」へつながっている。
石の塔の正体は、明治維新の前に屋敷へ落ちてきた隕石。
隕石の落下から30年後、すっかり森に埋もれた石の塔を眞人の大叔父様が発見し、大叔父様は「下の世界」の統治者となった。
石の塔があった場所はもともと池だったが、隕石の落下が原因で干上がり現在は湿地になっている。

眞人の屋敷だけでなく、どの世界にも石の塔は存在している。
塔の主が石の積み木を積むことで、その世界の均衡は保たれる。なので積み木が崩れると、その世界は崩壊してしまう。

大叔父様の血を引き継いだ悪意のない人間にしかこの仕事はできない。
また、塔を出ると「下の世界」にいたころの記憶を全て失う

「下の世界」の住人たち

「下の世界」は、現実とは全く違う世界観と生き物たちで構成されている。
そこはまるで、千尋が迷い込んだ「湯屋の世界」のようだ。

「下の世界」へ降りてすぐ、眞人は墓の門近くの海で船をこぐ黒い影達とすれ違う。
船乗りキリコは、影達を指して「この世界は死んでるやつの方が多いんだ」と語る。

逆に、「生」の象徴として登場するのがワラワラだ。
白くて小さなワラワラは、人間が赤ちゃんとして「上の世界」で生まれる前の魂。
彼らは、魚のハラワタを滋養にして上の世界に飛んでゆく。

「死んでる」住人たちも、ワラワラも、殺生が出来ない。つまり、生きるために獲物を殺すことができない。
しかし、ワラワラが赤ちゃんとして生まれるためには魚のハラワタが必要なのだ。

大叔父様が創った「下の世界」 そのしくみ

石の塔を発見した大叔父様は、ペリカン、インコなどの動物たちを「上の世界」から「下の世界」に持ち込んだ
また、眞人のように「上の世界」から「下の世界」へ迷い込んだ人たちもいる。
彼らを利用して大叔父様が創った「下の世界」のしくみは、残酷だが均衡が取れている。住人たちの役目を解説しよう。

キリコ
船乗りキリコの役目は、殺生が出来ない住人達に代わって魚を獲り、捌くこと

ペリカン
ペリカン達は「上の世界」へ飛び立とうとするワラワラを食い荒らしてしまう。しかし、あるペリカンの死に際の言葉によると、これは彼らの本意ではないようだ。
「我々はワラワラを食うためにこの世界に送り込まれた
海には魚がほとんどおらず、ワラワラを食べるほかに成すすべがない」
「どこまで飛んでもこの島にしか辿り着けない。子孫の中には飛ぶことを忘れ始めた者もいる」
ペリカン達は大叔父様によって「下の世界」に閉じ込められているため、食うに困ってワラワラを襲っているのだ。

インコ
「下の世界」で繁殖したインコ達は巨大化していて、ペリカンより獰猛で食欲旺盛だ。
また、彼らは独自の社会、国家を形成している。
眞人が捕らえられたインコ達の住処には、調理場、飲食店、作物を育てる畑などが見て取れる。
そして、その頂点にはインコの王様が君臨する。
インコ達は眞人のことも食べようとするが、妊娠中の眞人の養母・ナツコについては「ナツコ様には赤ちゃんがいるから食べない」と発言する。
また、ナツコの産屋に入った眞人をインコの王様は「禁忌をおかした。許してはならない」と言い、インコ達はこれに熱狂して賛同する。
ワラワラを食らうペリカン達とは逆に、インコ達は赤ちゃんを神聖視するのだ。

ヒミ
ヒミは炎を出す特別な能力を持っている。ヒミの役目はワラワラを食べるペリカンを燃やすこと。
が、もちろん炎は燃やす相手を選べない。巻き添えでワラワラも燃やしてしまう。ワラワラを燃やさないでと狼狽する眞人に向かって、キリコは「ヒミ様がいないと、ワラワラ達は上の世界へ行けない」とつぶやく。

大叔父様と湯婆婆 「石の塔」と「湯屋」を統べる者

眞人の大叔父様も、千尋を雇った湯婆婆も、異世界の統治者として君臨している。ハクは千尋に「湯婆婆はここを統べる魔女だ」と説明する。

湯婆婆

湯婆婆は、「働きたい者は働かせる」という誓いを立てて湯屋の世界を統治する。
この誓いは絶対なので、彼女は「ここで働かせてください」と言う千尋をおどかして、「イヤだ」「帰りたい」と言うように仕向けて来る。
湯婆婆は契約書に名前を書かせると、その者の名を奪って支配する。名前を奪われると、元の世界へ帰る道が分からなくなる。

湯屋の世界で働かない者は湯婆婆に動物にされる。千尋の両親は、湯屋のお客様(神様)の食べ物に手をつけたため、その報いとして豚にされた。
湯婆婆のまじないを解き、契約を解除して自由になるためには、与えられた試練を突破しなければならない。
千尋は豚になった両親を見つけ出すという試練を突破したため元の世界へ帰ることができた。
立てた誓いを守る」「罪に報いるには、試練を突破する」ことは湯屋の世界における絶対の「」であり、湯婆婆はおろか誰にもやぶることはできない。

湯婆婆は金にうるさくて強欲で、ハクを使って姉の銭婆を偵察させるなど、他人を信用していない。彼女は「契約」で関係を結ぶことにこだわる。
しかし一方で、洞察力に優れ、湯屋の経営者として統率力を発揮する。
クサレ神の正体が川の主であることを誰より早く見抜き、あっという間に湯屋の従業員をかき集め、見事にゴミを取り払ったエピソードは彼女のそんな一面を物語っている。

大叔父様

強欲で意地悪な湯婆婆とは対照的に、大叔父様は聡明で悪意の無い人間だ。
そもそも石の塔に入り「下の世界」を統治する者は、「悪意の無い人間」でなければ資格がない。
眞人の養母ナツコによれば「大叔父様はとても頭が良かったが、本の読み過ぎで変になってしまった」のだと言う。
大叔父様は石の塔を発見して以来「下の世界」にこもりきりになり、現実世界では行方知れずということになっているのだ。

そして彼は相当な合理主義者で、前述の通り「下の世界」はある意味完璧な調和が取れている。
一方で、現実世界では「覗き屋」のアオサギに屋敷の人間を偵察させる。
結果、後継者に選ばれた眞人は、アオサギに「母の居場所を知っている」とそそのかされ、「下の世界」へやって来た。

大叔父様は眞人に自分の後を継がせるべく、「悪意の無い13個の石」を眞人に手渡す。しかし眞人は、「石には悪意がある」と鋭い意見を返した。
彼の額には、クラスメートにいじめられて出来た怪我のあとがある。これは、彼が河原ので自傷して出来た傷であり、石=悪意の象徴であることの証なのだ。
眞人の言葉に理解を示した大叔父様は「眞人はよい少年だ。帰さなくてはいけないようだね」と彼を解放する。

おわりに

千尋は、どう生きたのか

『千と千尋の神隠し』制作のきっかけは、宮崎監督の個人的な友人である10歳の少女を喜ばせるためであったと言う。
公開当時はひきこもりパラサイト・シングルといった言葉が社会問題化し、後にニート問題が顕在化、自己責任論が叫ばれるような時代だった。
「成人したら働いて、親から自立する」ことが当たり前とされてきた価値観が、大きく揺らいだ年だったと言える。
物語序盤の千尋は臆病で甘えん坊な少女だ。湯屋へ続くトンネルで母の腕にすがりつく千尋に母は「そんなにくっつかないでよ」とツンとした態度をとる。父親は好奇心旺盛で、臆病な千尋をおいてズンズン湯屋の世界に歩を進めてしまう。
千尋は湯屋の世界で、湯婆婆の脅しに負けず働き口をみつけ、従業員たちに「ヒトのにおいだ」と煙たがられながらも、両親のため必死に働く。
『千と千尋の神隠し』は、10歳の少女が働くことを通してこの世界に居場所を見つける物語だ。

君たちは、どう生きるか

2020年3月、コロナ禍による緊急事態宣言が発令され、濃厚接触を避けるために人と人とが引き離された。リモートワークが推奨され学校行事が自粛され、孤独を恐れた私達は「」の大切さを実感した。
『君たちはどう生きるか』眞人の物語は、火事で母を亡くしたところから始まる。
軍需工場を経営する父親は、転校初日に息子をダットサンで送迎する。真っ白な制服を着て教室へ入って来た眞人は見るからに「いいとこの坊ちゃん」で、同級生から浮いている。そして彼はいじめられてしまう。
父は多忙でなかなか家に帰らず、新しい母・ナツコを眞人は受け入れることができない。
「悪意のない」優しい眞人は、同級生に殴られても決して殴り返さない。彼は石で自分の額を殴り、自分が傷つくことを選んだ。
「下の世界」で大叔父様に跡継ぎを頼まれた眞人は、下の世界の創造主になるよりも「キリコ、ヒミ、アオサギのような友達をつくりたい」と言って断る。
『君たちはどう生きるか』は、14歳の少年が、家族・友達との絆を通して自分の生き方を問い直す物語と言えるのではないか。

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