様々な思考実験を促す小説「正欲」
初めに
朝井リョウ「正欲」を読んだ。朝井リョウはたまに読んでうまいなと思うのだが、苦手意識があって積極的には読まない作者だ。
なぜ苦手かと考えると、おそらくリア充に見せかけて実は面倒くさいことを考えているキョロ充な人物の悩みを描くのがうまく、それがキョロ充にすらなれない私の立場から見るとイライラしてくるからだ。合わない。しかし読ませる力はある。
「正欲」は主に三人の視点での三人称で進む。
・寺井啓喜
検事。不登校の息子がおり、息子はYouTuberに
・桐生夏月
寝具販売員。元同級生リア充陽キャの西山修が仕切る結婚式&同窓会に誘われる
・神戸八重子
友達のよし香と共に大学祭実行委員になる
この三人の視点の切り替わりがあるので休憩も挟みやすかった。
ただ、朝井リョウは切り替わりのところで、さりげないシーン被りを発生させて、無関係なところで緩やかに異なる視点をリンクさせていくので、「神の見えざる手」のようなものを感じてしまい、そこもちょっとイラッとするのだが……。
ここからネタバレあらすじ
中盤からは視点人物が二人加わる。加わるというより夏月と佳道の再会により夏月ルートが佳道視点に切り替わり、
大学祭により周りから入れ知恵されて積極的になってしまった八重子ルートが、八重子に干渉された大也の視点に切り替わるわけだ。
・佐々木佳道
夏月の元同級生であり、同じ性的嗜好(水愛)を持つ同士
・諸橋大也
八重子と同じ大学に通う。大学祭を期に八重子の干渉を受ける。佳道と夏月と同じ性的嗜好を持ち、終盤には繋がりかけるが……
佳道と夏月は同窓会(修が事故死したが開催された)で再会し、偽装夫婦になる。二人が同好の士だと発覚したきっかけであるのが「藤原悟」であり、藤原悟の名を借りてインターネットで書き込みをしていたのが大也であった。
啓喜ルート、夏月&佳道ルート、八重子&大也ルートは交わりそうでなかなか交わらない。啓喜の息子のチャンネルに三人が注目したり書き込んだりしているところをBANされたりで。
夏月と佳道は更に同好の士と繋がろうとして、大也ともう一人の仲間、「古波瀬(矢田部)」と「パーティ」を組むのだが、佳道・大也・古波瀬オフ会に子どもが乱入した&矢田部が小児性愛者でもあったことから、小児性愛者のグループであるということにされ、捕まってしまう……。
そして啓喜の取り調べにより、啓喜と夏月が初めて対峙。
八重子は大也の逮捕にショックを受け、ぼんやり他のニュースを眺めているが、よし香に励まされる。
……というストーリー。
正直感想はめちゃくちゃ浮かぶ。しかし言語化も難しい。すべてを書けるとも思えないので、登場人物数人について深掘りしてみることにする。
「正欲」登場人物について考える
八重子について
八重子は自身の容姿にコンプレックスを持っており、引きこもりの兄がロリコンであることに嫌悪感もあり、異性が苦手である。だが、大也だけは怖くなかった。
アロマンティックアセクシャルなのか大也にだけ恋してしまうのか……? とハラハラしていたが、結局アロマンティックアセクシャルかつストーカーであった。恋愛感情ではない執着なだけに自身を正当化出来てしまい、ヤバいモンスターと化した。入れ知恵して背中を押した大学祭実行委員たちも含めタチが悪い。
ストーカー化して危ういと思っていたところで大也視点になり、大也がめちゃくちゃ干渉を嫌ってきた事実が分かり、ますます鬱陶しい。
やっと見つけた同士との初オフ会も邪魔されるか……? と思ったところで感情のぶつけ合いが起こり、大也が自分への視線を嫌がっていたことも、後々分かり合いの可能性も残して一先ずオフ会に行くことは出来てほっとした……。が!
最後、大也が小児性愛者として逮捕されてしまったことでショック受けちゃうかー! あれだけ啖呵切ったのに!?
しかも今スマホで眺めていたニュースは「藤原悟」のものだ。大也のハンドルネームの元ネタだ。ストーカーのくせにそういうとこに気付かないのかー! がっかりだよ!
最後の「藤原悟」のニュースはまさに運命のいたずら、神の見えざる手を感じるシーンである。ここで藤原悟に気付けていれば大也を理解するきっかけにもなり得ただろう。だが、八重子の思考に邪魔が入る。
「よし香」だ。
よし香について
視点人物にこそなっていないが、真にヤバい人はこの人である。ずっと危うい気がしていて、その危うさはたとえば八重子を陰で見下していたり、八重子を裏切ったりする類の危うさかな?と身構えてはいた、が……、
八重子に対してはずっと優しい(優しいせいで八重子の思考の邪魔になった)反面、「多様性」をテーマにした大学祭の成功を期に、それを推し進めたはずの次回の大学祭のテーマを「団結して無敵の人から身を守ろう!」にしようとしてしまう、という尖りすぎた思想を見せてくるとは!
多様性の次のテーマが少数派の排除って、真逆すぎでは?
その矛盾に気付かないよし香……怖い。
八重子はまだ柔軟性があり人に影響されやすいキョロ充なだけとも思えるが、よし香は走りすぎて怖い。八重子もこの先よし香に引きずられて大也のことは今後放棄する可能性が高い。忘れるためにも次の学祭準備にのめり込みそうだしな。
夏月について
八重子と夏月は、お互い身近な男性が逮捕されてじった、という同じ立場に置かれた。
この二人は鏡合わせであり、対照的だ。
ショックを受けて本人の情報をシャットアウトしてしまう八重子と、検事の前でも毅然とした態度でいる夏月。佳道を待ち続ける覚悟まである。夏月&佳道ルートはどちらかというとハッピーエンドに近い。
しかしもし、夏月と佳道が擬似セックスをしているシーンがなかったら、ここまでの信用関係は築けたのだろうか? とも思う。結局、恋愛はなくとも人肌が大事なのか?
スキンシップが大事なのか? 対話が大事なのか?(多様性を扱う作品は、よく「対話が大事」というところに着地してしまうが、要はコミュ力のある人が勝つだけじゃないのかと思ってしまうので懐疑的である。)
そう考えてしまうので、二人の関係としては良かったがモヤモヤは残る。
あと、夏月が仕事でたまたまオフ会に行けなかったから、男性三人のオフ会になってより怪しまれた、という経緯があったので、もし女性である夏月がオフ会に参加していたら逮捕はされなかったのか?というifをいくらでも考えてしまう。
夏月に仕事の都合が入ったのも神の見えざる手だよなぁ。
啓喜について
あんまり好きになれない登場人物達の中で、それでも一番考え方が私と近いな、と思うのが啓喜だった。
一番重視しているのが「法律」であり、息子の不登校も勉強よりも社会との繋がりが断たれたことにより孤独で犯罪に落ちやすくなるという現実的な分析で心配している。
啓喜はコミュ力も低い、と思う。目の前の人物の思いが汲み取れず、相手に「重力に負けた表情(何を言っても無駄だと思わせる)」をよくさせる。
息子が小児性愛者の標的になっている可能性にも、妻が不倫をしている可能性にも、逮捕された三人(二人)の目的が小児ではなく水であったことにも、ヒントがあるのに気付かない。部下が思いっきりヒントを出してもいるのに無視をする。
ただ。現実を考えるとこんな分かりやすいヒントは出ないよな、とも思う。小説の中ではやはり、朝井リョウの神の見えざる手が読者にヒントをくれているだけで、啓喜が超鈍感な人物に見えてしまうだけで、もしそれらのヒントが無かったら私なんかは啓喜の立場にいくらでもなり得ると思う。
コミュ障としては啓喜に結構同情する。
啓喜はまた、妻の涙に性的魅力を感じている人物でもある。それはたまたま妻の涙という一般的な性的嗜好に近いから深く考える必要がなかっただけで、実は水自体に性的興奮をしていた可能性もあって、つまり運命さえ異なれば佳道、大也(夏月、矢田部)のパーティに加わっていたのかもしれない……とも思わせる。
古波瀬(矢田部)について
ほとんど描写がないが、逮捕の原因になった人物。小児性愛者の矢田部さえいなければ、と読者は思ってしまうかもしれないが、たぶん矢田部は「小児性愛者と水愛者、どこに差があるのか?」という疑問を読者に投げつけるために存在しているのだと思う。
描写がないだけに、矢田部が小児性愛者のカモフラージュのために水愛者をしていたのか、小児性愛と水愛をそれぞれに持っているのかは判別がつかない。
冒頭の記事を参照すると買春をしていたことと性的な動画などの所持をしていたので犯罪に当たる、という判断は出来るのだが、オフ会の公園で小児を性的な目で見ていたかどうか? は分からない。
佐藤さんについて
同じく描写が少ない。病的に万引きを繰り返す「クレプトマニア」の女性である。
彼女は「性的嗜好」ではないものの、どうにもならない感情で店のものを盗んでしまう悪癖の持ち主である。
性欲ではない「欲」由来の犯罪を描きたかったのだろうと思う。
どこからが犯罪か? どこからが病気か? 性的嗜好も治療すべき病気なのか?
ということを問いかけてくる。
西山修について
絵に描いたようなリア充陽キャで佳道と夏月の元同級生。多数派のリーダー格。デリカシーに欠けた下ネタを放つし本物の藤原悟もバカにする。
途中、崖から川に飛び込んだことで事故死する。
亡き修について、佳道は想像する。修も本当は自分が本当に多数派に属せているかが不安で数々の下ネタを言っていたのではないか?
死んだ時も崖から本当に飛び降りていいのか不安だったのではないか? と。
そして、周りに囃されるままに飛び込んでしまった……。
恐ろしい。多数派のトップすら多数の「空気」に流され殺されてしまった。何が怖いかって大勢の人が修を囃し立てて崖から飛び降りさせたのに、「自分が修を殺した」と罪悪感を持っている同級生がいなかったこと。
空気とは責任感を曖昧にさせる……。
修は佳道と夏月の関係にも薄々気づいていたし、空気を読むのが得意な人物だったのだろうな。
しかしトップの修が亡くなっても結婚式&同窓会は遺志を継ぐ形で開催された。世の無常を感じるし、多数派のしたたかさを感じる。
藤原悟(本物)について
影の主人公。中盤と最後の新聞記事にしか出ていないけど、本人の知らないところでこれだけ他人に影響を与え、概念を生みパーティを組ませた始祖のすごい人物。教祖。よし香には無敵の人だと一刀両断されるが。
今はおじいちゃんなのでネットは見てなさそうな歳なわけで、パーティには加わらない運命だったものの、……夏月や出所した面々が最後の藤原悟の新ニュースにぶち当たる可能性は結構高いよなぁ。水愛関係ない八重子はラストシーンでスルーしたけれども。
誰かが藤原悟に再び辿り着くことで、あるいはまた何かが始まるのかもしれない……。
最後に「解説」に反論する
解説の人は「結局、正交渉をするしかない」と結論づけているが、恐れているように読者として反論しよう。
「交渉が下手くそな人はじゃあどうするの」と。「自分の意見を言語化出来ない人はどうするの」と。「自分の意見を持てない人はどうするの」と。
多様性について考える時、私がぶつかる壁がこれなんだよな。多様性の答えが対話なら、対話が嫌いな人は袋小路じゃんって。
「生きるのが下手だからとりあえず長いものに巻かれたい」欲があると、「多数派」=「長いもの」自体が無くなったらロールモデルがなくなって生きられなくなっちゃうじゃないか、とも思う。
だから私は多様性を推す世の中はあんまり好きじゃないな、と思うわけだ。
(意見書けたじゃん。やったね)
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