7歳児との哲学的対話~子どもと大人の境界線について~
私はある英会話教室で、私は6歳の女の子に英語を教えている。
教室にやってきた時は5歳の保育園の年長だったのに、もう6歳の小学1年生かと少し感慨深い。
先日、いつものように英単語を一緒に覚えていると、いきなり尋ねられた。
「ねえ、先生って大学生?」
正確に言うと、私は今年の四月から大学院生になった。でもこの子に大学院の説明をするのは少し面倒くさい。
「うん、大学生やで。」
嘘は付きたくないけど、説明がめんどくさいんだ、ごめんね。
「大学生ってことは、もう大人?」
なんでこんなことを聞くのかは分からない。でも”どこからが大人なのか”、という疑問には、前から自分なりの答えを探していた。
「全然大人じゃないよ(笑)」
「え、でも大学生ってもう大人じゃないの?」
高校生ですら、大学生と社会人の区別は付けられない。小学1年生ともなれば小学6年生でも大人に思えるだろう。
「大学生は、大人でも子どもでもないんだよ」
「どういう意味?わかんない。」
この子は、分からないことがあると、いつもこうやって聞き返してくれる。
さあ、子どもと大人の境界線についての対話がスタートだ。
「歳は大人だけど、心がまだ子どものような人もいれば、心はもう大人みたいだけど、歳はまだ子どもな人がいると思わない?」
「どういう意味?わかんない。」
やっぱりこの子は、私の中の無知の知を刺激してくれる。まさにソクラテスだ。
「例えば、先生の心は、ある程度成熟してきてると思うんだ。でもまだ大学生だから、親からお金をもらわないと生きていけないんだ。これって大人でもないし、子どもでもないと思わない?」
「どういう意味?わかんない。」
そうか、今の説明じゃ分からないか。しかし、自分がさっき言った言葉は、心が大人で、歳も大人なのに、親からお金をもらってるからどっちでもない、という風に伝えてしまっていることになる。これでは矛盾していて、伝わるはずがないじゃないか。さすが私のソクラテス、常に私に無知の知を教えてくれる。
「つまり、”自立していること”が大人と子どもの違いにあるんじゃないかな」
「どういう意味?わかんない。」
なんだか本質に迫れそうだけど、もう少し具体的な言葉にするのが難しい。でも頑張ります、ソクラテス先生。
「例えば、歳が大人になって、自分の仕事をもって、経済的に自立をして、なおかつ、自分の機嫌は自分で取れるように、精神的にも自立をしている。この2つになった状態が本当に大人になったっていうことなんじゃないかな」
「どういう意味?わかんない。てゆうか早く今日の分終わらせてお絵描きしたい」
なるほど。対話する事によって、大人と子どもの違いがいつもよりも鮮明に、より本質的に自分の中で近づけた気がします。ありがとうソクラテス先生、いや7歳の小学1年生。
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