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今の自分を好きになるために。

今日、ひとつ持っていたものを手放した。

それを持っていると、自分の意思が曖昧になって、常に相手の反応を伺って、自分が自分でなくなっていくような感覚に陥っていた。そういう自分が好きになれなかった。

金沢を離れてから、ずっとモヤモヤしていたことがある。このモヤモヤは何なのだろうと、昨晩眠れない布団の中で考えていた。そしてたどり着いたのは、越してきてからの自分があまり好きではないということだった。

金沢にいるときも、わたしは自分のことを好くのが苦手だった。けれど金沢で暮らす年月が長くなればなるにつれ、わたしは少しずつ、自分のことを肯定できるようにもなっていた。自分のことは好きではないけれど、こんな自分もアリだよねと思える時間が増えたように思う。

それは金沢で出会った人たちとの関わりであったり、内省の積み重ねであったり、自分という人間を前よりも理解できたりしたことが、わたしの自己肯定感を少しずつ上げてくれたのだと思う。

同じ自分を生きているつもりだったけれど、越してきてからの自分は、金沢にいたときの自分とは何かが違う。自分を取り巻く生活環境が変わって、新しい街のルールみたいなものも見えてきて、街にはこんなに人が溢れているのに人との繋がり方が分からない。

玄関の重くて厚い扉を開けると、外の世界が異様に眩しい。弱っているときに駅で電車を待っていると、簡単に線路に飛び込んでしまいたくなる。色んな人がいて、生き方も仕事も様々で、人も物も溢れている。夜はネオンが輝き、人々はくっついて楽しそうに笑っている。そんな中で、死にたくなるのはわたしだけではないだろう。

自分の人生を生きるのは自分だ。声を上げたら助けてくれる優しい人はいるけれど、他人が救えるのはその人のほんの一部分に過ぎない。だから、自分で自分を守る努力も必要だ。自分で自分を好きになれるように、ときには手放したほうがよいものもきっとある。

もともとわたしは、何かを手放すのが苦手な人間なので、同じことで何年もくよくよ悩む。今日はひとつ手放したけれど、まだ他にも手放したいのに手放せないものがある。それはある時期のわたしには必要だったけれど、今のわたしには必要のないもの、または、あるとわたしがわたしで居られなくなるものだ。

昔とても感動しながら読んだ本が、今はそんなに心に響かない、そんな感じに近いかもしれない。生きている限り人は変化する。その変化に合わせて、今の自分に必要なものを選んでゆく。物だけでなく、人間関係にも同じようなことが言えると思う。

今の自分を、もう少し好きになってあげたい。どんな選択をしても、それが一生懸命考えた結果なのだとしたら、応援してあげたい。どんなときも味方でいたい。自分に優しくするのは、簡単なようでとてもむずかしい。だから、わたしがわたしの1番の友達になるのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。