イスラム流 幸せな生き方
今までぼんやりとイメージしていたイスラム像が、ことごとく覆った。
×テロや過激なことをする排他的な集団
○「常識ハズレの親切さ」を持つ人たち
×厳しい戒律に則った禁欲的な生活
○ハタから見たら日本人よりゆるいかもしれない
特に印象深かったのはイスラム女性の在り方。
女性の抑圧だと見られがちなスカーフを巻く習慣や、あらゆる場所なされる男女隔離は、実は女性を保護するためのもの。イスラム社会で男女の待遇に差があるのは事実。でもそれは女性蔑視ではなくて、女性を優遇する社会だから。
経典のコーランと密接に結びついた生活が、著者の体験と共に記されていて、随所でムスリムの優しさを感じた。
イスラムの教えそれ自体の、また教えが自分の一部になっている人たちの大らかさに、言い知れぬ包容力を感じた。
確かに宗教も神もしょせん人間が作ったものかもしれない。でも、良いじゃないか。それで心が安らぐし、今目の前にいる人を大切にすることが出来るのだから。
宗教は「壮大な人類の叡智」と言い換えても良いと思う。果てしのない時空を経て、想像もできない数の人たちの手により洗練されてきた。幸せになる方法を個人でうんうん考えるよりも、長いものに巻かれてみる方が、よっぽど近道かもしれないね。
一人の日本人女性として思うことは、今は女性の選択肢がとても多い。ほんとうに生き方はそれぞれの自由!なのに、ステレオタイプな女性らしさを求められて息苦しさを感じる場面もある。
自分がこれをやりたい・やりたくないんだから良いでしょ?と開き直り切れない自分もいる。
その狭間で、”進む”以前に”決める”ことが難しい。だから宗教で定められたシンプルさが少し、羨ましい。
話は戻り、イスラム教徒の増え方も面白い。過去約40年で増加率は70%以上で、これはキリスト教・ヒンズー教の倍くらいだそう。今世紀半ばにはキリスト教を追い越すのでは、と言われている。
何故かというと、もちろんイスラム教徒の出生率の高さ、若年人口の増大もあるけど、他宗教からの改宗者数も多いのだとか。
うんうん。私も読み終わったあと、イスラム教って良いなぁ、もっと知りたいな、って思ったよ。この本のお陰で、イスラムの魅力の一部分が分かった気がした。
なので拙い理解で分かったイスラムの魅力を、少しだけお届けします。
常識ハズレの親切さ
イスラム圏の人々はもてなし好きで、人との交わりこそ人生の楽しみだと考えている。メッカ巡礼の影響で旅人を積極的に保護する文化があるため、外国人に対してもとても優しい。
私は2015年にイランを20日間旅行したが、一度もホテルに泊まっていない。行く先々で知り合った人の家に招かれたためだ。
車がビュンビュン行き交う道路で、怖くて反対側に渡らずに困っていると、少年が私の手をとり、反対側まで渡らせてくれたこともあった。
心優しいムスリムとのエピソードがたくさん、たくさん書かれていた。
著者は「ムスリムの心の優しさ」のルーツについてこう語っている。
中東の気候や風土も影響しているだろう。砂漠のような厳しい自然環境の中では、助け合わなければ生きていけない。
遊牧民サイーダがよく言っていた。「私が留守の間に誰かが水や食べ物を取っても、泥棒とは言わない。砂漠では水も食べ物も限られているから」。
この助け合う心が、イスラムの弱者救済思想によって強まっていったのかもしれないし、「人間は弱い」とするイスラムの考えから、他人へのやさしさが生まれたのかもしれない。
イスラム教のゆるさ
■悪行は善行で挽回できる
礼拝しなくても断食しなくても罰はない。本人が「天国がちょっと遠のいちゃったなぁ」と思うだけであって、そういうときは善行を多くすれば良い。つまり悪より善の総量が多ければ良いのだ。
イスラムの教えでは、殺人などを犯さない限り誰もが天国へ行けるシステムになっている。
こんなお茶目なおじさんのエピソードも。※通常、礼拝は1日5回
エジプトで1日に7回礼拝しているおじさんに会った。若い頃はお酒を飲んだり女の子と遊んだりと、ついついハメをはずしてしまった。仕事にかまけてお祈りも真面目にやらなかった。今はリタイアして時間ができたから、これまでさぼったぶんを挽回しようと思い立ったそうだ。
■ラマダンはお祭り、お正月のようなもの
実は多くのイスラム教徒がラマダンを楽しみにしている。特別イベント、セール、TV特番、臨時遊園地、屋台。仕事の始まりが1時間〜1時間半遅くなり終わりも1時間ほど早まる。普段より食卓にご馳走が並ぶ。
家で断食明けのご飯を食べたら友人宅をハシゴして、その度に甘い紅茶とクッキーでもてなされる。こうして夜中2〜3時まで起きている。
(間違いなく不健康だが、ムスリムにとって大事なのは現世の健康よりも天国に行けることだから、問題ないのだ。)
■失敗も「神の決めたこと」と受け容れる
イスラムでは神がこの世の全てを創り、決める。人々はそれに全面的に従う。全ては神の采配。
それは、人間の努力や意思決定の否定…ではなくて、「最善の努力はする、それでもどうにもならないことがある」ということ。
試験に落ちた、リストラにあった……。日本人なら「努力が足りなかった」と責めるところを、ムスリムは「神が望んだこと」で終わり。
『地上をあまりいい気になって闊歩するでない。別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもないし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。』(17章37節)
この考え方、すごく良いと思いませんか?
イスラム社会と女性
■女性は宝石
実は厳密に言えば、女性のスカーフの着用は義務ではない。にも関わらず着用している女性が多いのは、それだけスカーフに心地良さを見出しているからだと著者は語る。
ムスリムの女性の言葉を借りると、
「紙で包んであるアメとそうでないアメがあったら、人はどっちを食べる?包んである方でしょう。むき出しのアメはハエがたかっているかもしれないし、汚い手で触ったかもしれない。スカーフもそれと同じ。女性の髪が美しい高貴なものだから包む。包むからますます価値が上がり、尊ばれることになるのよ」
美しさは不特定多数の男を楽しませるものではなく、大切な人だけに大切にしてもらうものなのだ。
またこのように慎み深く装うことは、女性の美しさに弱い男性への配慮にもなる。
■女性を守るため
女性は旅行をするとき、近親者を連れることが勧められている。というのも旅は苦労を伴うものとされ、か弱き女性が1人で旅をすると危険な目に遭いかねないからだ。自由を奪うためではない。
女性自身、
「家族を置いて一人で旅行したら、楽しみが半分になる」
「もし私が一人で旅行したら、誰が私の荷物を持つのよ?」
と、特に近親者を連れることに不幸は感じていない様子。人と交わることが楽しいと考えるムスリムにとっては一人旅の気楽さはそこまで魅力的ではないのかもしれない。
■男女隔離で女性の活躍の場が広がる
女性にとっては女医がありがたいし、密室とも言えるタクシーの運転手も女性が良い。女性専用の買い物をする場所「ウーマンズ・マーケット」もあるのだそう。
---おまけの、イスラム女性のピリ辛恋愛観---
「女性は宝石よ。ここでは男は結婚しないと、女性の手すら握れないの。それをタダでやらせるの?ずいぶんお安いのね。娼婦だってお金をもらうのに」
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