見出し画像

「人は幸せになるために生きている。」私が一番欲しかったもの。

「人は幸せになるために生きている」

これは、私が小学六年生の頃の
担任のO先生(男性)から教えていただいた
言葉である。
あれから40年以上経っても
私がいまだに忘れられない大切な言葉だ。

ある日、O先生がみんなに聞いた。
「人は何のために生きているんだと思う?」

先生からのこの質問に対して

ある子は
「お金持ちになるため」
またある子は
「サッカー選手になるため」
など色々な答えを出していた。

当時の私は
「夢を叶えるため?」なんて思っていた。

そして、先生は笑って答えた。

「幸せになるためだよ」と。

ああ、そうか。
お金持ちもサッカー選手も
みんな「幸せに通じるよね…」
と思った。
「ん?でも、待てよ。それじゃあ、私の幸せってなんだろう?」

「夢を叶える」=「私の幸せ」??

そうだ!

私の夢は
私の幸せは

「温かい家庭を作ること!」なんだ。

私は複雑な環境で育った。
3DKのボロ貸家に家族7人。
いわゆる「貧乏の子だくさん家庭」だった。

両親は毎日、毎晩、大げんかをしていた。
電球が割れたり、茶碗が割れたり
隣の部屋から怒鳴り声が響いた。
父は酒乱だった。
怖くて、怖くて仕方なかった。

私が小学三年生の夏休み前に
両親は離婚した。

母は、5人の子どもたちを連れての離婚だったので
夜に働くようになった。
水商売という仕事だ。

4歳上の兄と私で妹と弟たちの面倒をみていた。
夜働いていた母は、朝、起きてこなかった。
当然のごとく、ご飯の支度もなかった。
母親の料理をする音がしたり、
「起きなさい」と起こされたこともない。

全部、自分でやっていた。
お弁当も作ってくれなかった。
毎朝食べるものは決まっていた。
「食パン1枚」と「ミロ(ココア)」を牛乳ではなく、お湯で溶かしたものだった。
母からの「いってらっしゃい」の言葉もなく、兄弟5人で家を出る毎日だった。

そのうち、母に新しい恋人?が出来た。
初めて見る知らないおじさんだ。
母から「今日から、お父さんと呼ぶのよ」といきなり言われた。
私の名字も「I」から「M」に変わった。
六年生の4月まで通った学校だったが、母が再婚したので隣町の学校へ初めての転校をすることになった。

母の再婚はこの一度だけではなかったので、そのたびに違う男性が家を出入りしていた。
それが、思春期になっていた私は嫌で嫌で仕方なかった。
母は、「母親」ではなく「女」だった。
「私は子どもたちを捨ててでも、彼と一緒になる!」と目の前で言われたこともあった。

こんなことがあったからこそ、私が一番欲しかったものは
「温かい家庭」だった。

だから私の幸せは
私が一番欲しかったもの。
半世紀生きてきて、やっと一番欲しかったものが手に入った。
先生から教えていただいたこの言葉が
身に染みる年齢になった。

「人は幸せになるために生きている」

孫にも伝えていきたいと思う、今日この頃である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?