ただそばにいて

クリープハイプの「ただ」という曲がある。私は別にクリープの信者と言う訳でもなく、好きな歌手という訳でもない。それでも尾崎さんの書く詩には共感する事もあれば、恋をそうやって表現するのかとすごさを感じている。

「ただ」について言えば、
ただそばにいてとか言えなくて
いつもその理由を考えてしまう
ただそばにいてのただが何かを
恥ずかしくなって考えてしまう

と好きな人とただ一緒にいたい。けど、そのただって何なのか分からない。そうやってただそばにいる事って何なのだろうと考えさせられる歌詞である。そこに共感し、「ただそばにいて」という言葉を今の私は死にゆく母と重ねて聴いてしまう。

9月6日担当医師から説明を受けた。「あと、2週間以内だと思います。」泣きはしなかった。覚悟は決まっていたし、医療職についている身としては死に接する事は慣れていた。担当の患者が死んだ事もあった。その日の前日、母に「歩けなくなった。おしっこの管入っちゃった。」と言われた。食事量も減っていて、ここ数日で頬のこけ方が異常であった。誰がみてもおそらく長くない事はわかる状態であった。そんな姿を見ていれば先生の説明を受けたところで涙など流さなかった。

ただ、歩けなくなり、昔大声大会で優勝したという声が弱々しくなり、頬はこけて衰弱していく母を見ると、元気に動いていた頃の姿を思い出し涙が出た。

私が専門学生の時、家族みんなで最後のキャンプに行った事がある。UNOで遊んですぐに負ける母がいじけて「もうやんない」と子供みたいにカードを投げてみんなで大笑いした事があった。私が就職してから妹を連れてハトヤホテルに行き、美味しいねとホテルのディナーで海鮮料理を食べた事もあった。家の中で元気に動き回り、いつも情けない私を叱っていた事も多々あった。癌になっても明るく元気に動いていた母の姿が走馬灯のように駆け巡った。
母との想い出が脳内を駆け巡り、目の前の母と重ねて、そして「ああ、もうすぐ死んでしまうんだ。」と思った。その瞬間、今まで受け入れていたはずの死というものが現実味を帯びて私の心を侵食して、涙が溢れた。母に悟られぬ様、涙が流れない様に必死に堪えて、平静を装った。
帰りの車の中で涙が止まらなかった。目の前が見えない程の涙で運転が出来ず、車を脇に停め、なりふり構わず泣いた。

残り少ない母の人生に今、私に出来る事は何なんだろうと考えた。ベッド上の生活を送る母をみて、「ただそばにいて、自由に動けなくなった母に尽して、少しでも辛くない最後にしよう。」と考えた。

ただ、無料、無償、、、
そんなふうに「ただ」について考えてみたが、私にとって「ただ」とは愛する事だと思った。相手を思いやる気持ち、自分の損得感情を抜きに尽くす事。そんなふうに私はクリープハイプの「ただ」という曲を受けとめた。


今、このnoteを母と二人の病室で書いているが、こうして言葉に起こして整理していく事で少しずつだが、泣き崩れそうだった母との時間を落ち着いた気持ちでいる事が出来た。

残り少ない母との時間を悔いのない様に過ごせたらいいのに。ただただちゃんとただただ愛している。

#母 #愛 #癌 #クリープハイプ #ただ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?