エケネイシャ(エキナセア) 〜FES〜
※写真はpinterestよりお借りしています
キーワード
・本来の美しさ
自分の本質とつながる、凛とした、自己統合、
・バランスが崩れたとき
トラウマ、分裂した自己、境界の曖昧さ
エケネイシャのエッセンスについて
今回はFESというアメリカのメーカーのエッセンスについて書かせていただきます。
エケネイシャのハーブの効能は、エケネイシャのエッセンスの特徴を理解することを大きく助けてくれます。
エケネイシャのハーブティーの効能として『免疫力の向上』『抗ウィルス作用』といったものが有名かと思います。
『外からの”攻撃”に対しての防御機能を高める。』言葉を変えるとそんな感じでしょうか。
エッセンスもは、過去のトラウマなどが原因で、バウンダリーが曖昧だったり、自分がバラバラゆえに、エネルギー的な意味での”攻撃”(ネガティブな空気や、周囲や社会からの考え方や価値観の押し付けなども含む)に対する防御能力が弱い人のバウンダリーをしっかりとさせ、バラバラの自分をしっかり統合していくことで、適切に自分の心を守ったり、しっかりと自分の足で立つことを助けてくれると感じています。
「自分が誰なのかなんかよくわからない」、「Noと言えない」「心がバラバラだ・・・」そんな感覚がある方は過去に大きく傷つく出来事を経験されていることが多いです。
そしてその心の傷や辛さは客観的に測れるものではなく、自分が表層で感じている以上に、自分自身を蝕んでいることがあります。
美しい凛としたエケネイシャのエネルギーは、過去の傷をさらなる美しさに変えて生きようとする人の大きな支えになると思います。
〈参考文献〉
王由衣 『フラワーエッセンス辞典』星狐書房
私とエケネイシャ
私の個人的なエケネイシャのエッセンスとの関わりを書かせていただきたいと思います。
エケネイシャのエッセンスを約3ヶ月間に渡って摂りました(エケネイシャ単体ではなく、他のエッセンスと一緒にですが)。
エケネイシャのエッセンスについての説明を読んで、ずっと気になってはいたのですが、お花の真ん中のなんとも存在感のあるこげ茶の頭状花が美しいと思えなくて、実際にエッセンスを摂るに至りませんでした。
エケネイシャの属名はギリシャ語で『ハリネズミ』『ウニ』という意味らしいのですが、まさにそんな感じです。
真ん中のトゲトゲの丸いこげ茶(オレンジ?)が、濃いピンクのような紫のような美しい舌状化の美しさに水を差しているというか、どうもミスマッチでアンバランスな感じがしてなりませんでした。
にも関わらず、ずっと興味はあって、よくネットなどでエケネイシャのお花の画像検索をして見たりなどしていました。するとだんだん美しく見えてきて・・・おそらく私にエケネイシャのエッセンスを摂る準備が整ったからこそ、つまり私の内面が変化したからこそ、エケネイシャを見たときの感じ方も変わったのだと思います。
先ほども書きましたが、エケネイシャは『トラウマなどが原因で自分がバラバラになったように感じている人が自分を再統合していく』といった過程をサポートしてくれるエッセンスです。
これは私の経験ですが、バラバラになった自分の中には『見たくない自分』がいました。私にとってはそれは『人を嫌う自分』『人を見下す自分』『気にくわない人を排除したくなる自分』など、そんな優しさや美しい心と対極にあるような感情を持つ自分でした。(写真のあと続く)
そんな感情を持つ自分がいるのだと認めることはとてもハードな過程でしたし、今もまだ受け止めきれていない部分があるとおもいます。それでも自分の醜い部分、影の部分を受容していく準備ができたときにエケネイシャを摂り始めることができたし、同時にエケネイシャがどこかバウンダリが弱く、軸の定まらない私に、『人を嫌う』という感情に耐えうるよう支え守ってくれたと感じています。
そしてその守りと支えは、外からシールドを張り巡らして守るようなやり方ではなく、まさにエケネイシャのスーッと伸びる茎のように、私の真ん中にスーッと伸びる軸を立て、そこに私のエネルギーをしっかり集めてくれた、そしてエネルギーの集まった軸から美しいピンクの光を広げて守り支えてくれた。表現が難しいのですが、そんなイメージです。
その守りの中で、私は自分に影の部分があることを許していけているのだと感じています。
今から思えば、私がどうしても「美しさの邪魔をしている」と感じたエケネイシャの真ん中の焦げ茶色の部分は、私自身の中の見たくない部分そのものだったのかもしれません。
でも今なら、あのハリネズミやウニのような妙に存在感のある大きな頭状花も含め、エケネイシャのお花の姿そのままを美しいと感じています。
エケネイシャのエッセンスを摂ってしばらくしてから、ゲド戦記という小説を読み始めました。ユング心理学から大きなインスピレーションを得たと言われている小説です。
ずっと読みたいなと思いながら、なんとなく読まないままだったのですが、エケネイシャを3ヶ月ほど飲んだ後ふと読む機会が訪れました。本の中にこんな一節があります。
『自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて自分自身の本当の姿を知る者は、自分以外のどんな力にも利用されたり、支配されたりすることはない』
エケネイシャに支えながら私が対峙したことと重なり、ゲド戦記は私にとってとても大切な本になりました。
そしてまたこれからもエケネイシャにお世話になるときがあると思います。
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