人のことは結局は理解できない
自分以外の人のことを十分には理解できない。
衝撃的な事件を経験した人からの話を聞いてもその現場がどれほど凄まじかったか、どれほどのショックを受けて傷ついたかなんて、話を聞いたとて
私にはわかった気にはなれない。
計り知れない消化されない感情を抱えて混乱の渦の渦中にいて、生きるために何も感じないようにしている人を前にしてわかったようなことを言われる方がきっと辛いと思う。
人を支える人の仕事のゴールはどこか?
相手が生きる喜びを取り戻すことだと私は考えている。
支える仲間で共食いをすることだってあるけど
やっぱり私は、生まれてきた相手の権利が守られる世の中になってほしいと願い続けるし、そのことに気が付いたからには、伝え続けることが使命だとさえ考えている。
自分の自己実現のためや、達成感のためではなく
私の仕事が成立するのは、相互に作用する何らかの仕組みが成立して初めて仕事として成立していると評価できる。
だからこそ、今日言われた相勤務者からの
「支援は繋げることだよね」って言葉に強い怒りを感じたんだと思う。
繋げる前に繋がった信頼関係をバトンのように回せる社会なら苦労しないけど繋げる先が同じ気持ちで仕事をしていることがないことを嫌なほど見てきたから。
それぞれが役割を十分に発揮していたら
私とて、こんなに自分に厳しく生きることをしていなかったんだ
もっと周りを信頼して生きていただろうし、
悲しい人生に寄り添ったりなんかしていない
私から湧いてきた怒りは、きっと彼女に対してではなくもっと広い範囲へ向けられたものだったのかもしれないと思う
簡単には変えられない
だけど、何もしないで愚痴ばかりいっても、何も変わらない
だから、地道にコツコツと出会う一人ひとりを支えられる力をつけ続けていて
今はそれが本当に支えになっているのかが見えていないだけで、
それが疑われているような気持ちになったから怒りが湧いたんだなと結論を見つけられた。
人の気持ちはわからない。
確かなものもないし、時間と共に変化するもの
だからこそ、瞬間瞬間の感性に豊かさが宿って
その後、それが整理されて言葉で出せるほどになった頃に
誰かと理解できる結晶になるんだと思う。
怒りは本当にエネルギッシュ
そんなきっかけに怒っていたけど、怒りの正体を露わにできるとなんだか愛おしい
おやすみなさい
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