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恵まれなくても 第1話

※この物語はフィクションです。

「自然妊娠は限りなく不可能に近いです。」
 表情を動かさず淡々と話す医者。今まで何度も同じ台詞を繰り返してきたかのような口ぶりだ。その後の詳しい数値の説明は、ショックのあまり、よく覚えていない。

 「あかね、ごめんね。俺の方だったんだ。」
 夫の慎一は顔を伏せながら、検査結果が記された用紙を私の前に置いた。
 「精子の濃度が低くほぼ無精子に近い状態。運動量も基準値よりかなり低いんだね。」
 基準値と夫の数値が並べられただけの無機質な表に、私たち夫婦にとって悲しい現実が並べられている。
 
 結婚して5年。32歳。未だ子宝に恵まれていない。
 想像していたライフプランからは、1,2年ほど遅れをとっていた。
 結婚が遅かったわけではない。むしろ第二次結婚ブームの波が来る前に、周りより比較的早くゴールインできた方だった。あの頃からだろうか、独身の友達とは会わなくなり、結婚したり、子供を産んだりした友達と遊ぶようになったのは。

 子供のいない二人きりの時間を楽しみたいね、と2年間は子作りをしていなかった。そこから差が開き始めた。周りはみな結婚して2年以内に子供を作り、インスタには毎日のように我が子の成長を記録する、いや自慢するための投稿が並んでいる。ママになった友達の集まりに、子供のいない私はだんだんと呼ばれなくなっていった。

 焦っているつもりはなかった。私たちも次こそは、と信じ、回数も増やし、基礎体温を測ってタイミング法もとってきた。なのに、なぜ。

 「疑ってるわけじゃないんだけどさ、一応あなたも精液検査言ってきてくれない?」
 そう切り出したのは2ヶ月前。行きつけの産婦人科の先生に、男性側の不妊検査を促されたからだ。
 不妊の原因は女性だけではない。それは前々からわかっていた。ただ、慎一に検査をお願いすることで、いよいよ本当の原因を知るのが怖かったのかもしれない。
 
 産婦人科に通い本格的に妊活を始めたのは1年半前。生理が来てから5日目〜9日目まで排卵誘発剤を服用。12日目にエコー検査をし、卵胞の成熟度合いや卵胞が破裂しているかを確認。未熟であれば注射治療による追加の誘発。前後3日間連続のセックス。レントゲンを撮るための造影剤を卵管に直接注入する、思い出しただけでも子宮がキリキリ痛くなるような卵管検査にも耐え、特に異常はなかった。

 今回もダメだった…と生理が来る度に肩を落とすことすら嫌になっていた。これを毎月、1年間続けても妊娠しなければいわゆる「不妊」という扱いになる。タイムリミットはとうに過ぎていた。

 慎一は私たちの妊活にこそ積極的に関わってくれていた。産婦人科への送り迎え、タイミングをとってのセックス。仕事でどんなに遅くなっても「明日排卵予定日だから。」と言うと、嫌な顔ひとつせず「分かった。」と愛情込めて抱いてくれた。ただ、自身の精子に問題があるという可能性には気付いていなかったのだろう。

 「もっと早く検査受けてればよかったね、長いこと辛い思いさせてごめん。」
 分かっていたのかもしれないが知りたくなかった現実。
   私たちの妊活は、バッターボックスに立たせてもらえず、ずっとベンチ裏で素振りをしていた野球少年たちのあの夏のように、日の目を見ることなく儚く消えていった。

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