るるの人生経験

るるは生まれてからよく「手のかからない子」と言われていたらしいです。
幼少期は親からのDVがあり、よく耐えていたなと思います。
今では優しい父と母なのですがね。

幼稚園児は特に苦労することがなく 
分からないところが聞けなくてよく泣いていたり母と離れるのが怖く「見捨てられる」と幼いながらに思っていました。

小学校に上がるとそれなりにうまくやって行けてたと思います。
小学三年生のころから勉強についていけなくなり
分からないところを聞いても、また違う問題が来るとわからなくて
先生に聞いても「さっきも教えた」とあしらわれました。
塾にも通っていたのですがよく怒られて 点数が低いと名簿帳で頭をたたかれていました。
母に相談しても「あなたの努力が足りない」と言われ
遊びに行くこともやめて勉強をしていました。
四年生になると、「異性」「同性」がはっきりしてきているのに私にはそれがわかりませんでした。
周りからは「男好き」と言われていました。
五年生になると いじめが始まりました。
トイレに入っているのをわかっていながら大声で悪口を言われる。
いきなりリコーダーで殴られる。色々ありました。
母に学校に行きたくないとないても「早く行きなさい」「仕事の邪魔」などと言われてました。泣きながら学校に行く毎日。死にたかった。

六年生になると ある日突然「夢と現実の区別がつかなくなる」「気づいたら家にいる」など不思議な体験をしました。
悪口もやまない。ランドセルを池に落とされる。靴を隠される。
それでも笑って学校に行ってました。

中学生になるとラインのグループに初めて入れてもらったのですが
私を嫌いな女子が私を抜けさせて男の子に心配されてました。
そのころから月に一回男が変わるようになってました。
勉強もついていけないので 廊下に出たり動き回ったり
問題児でした。
体育祭では走るのが得意じゃないのに女の子たちから900メートルを勝手に入れられて走らされてめまいと吐き気息ができなくて倒れました。

二年になると 幼馴染をトップの女子から
階段の踊り場で悪口を言われその下をみると40人ほどの囲いが笑いながら見てました。

殴られたりもしました。「もう死のう」そう思って三階から飛び降りようとしたところ夜間の先生に見つかり止められました。その時は怖さやいろんな気持ちで一人で立てなくて男の先生に担がれました。
相談室で全部話しても、お金の奢り合いがあったのにもかかわらず
私は幼馴染に5000円返さないといけなくなりました。
先生はそうしないと今よりもっとひどくなる。るるちゃんが悪いと言ってきました。
大人に絶望を覚えました。汚いんだなと。
そこからも母に説明しても「るるが悪い」「学校には行け」でした。
泣きながら、吐きそうになりながら学校に行くようになった私。
聴覚過敏を発症。保健室登校で教室には入れさせてもらえませんでした。
ノイズキャンセリングの入ったヘッドホンで登校するようになり
周りの目はもっとひどくなりました。その時同時に「日航過敏症」も発症
長袖長ズボンの私を特別扱いと言い張る人もいました。
それでも学校に行っていた私。

中学三年になると 修学旅行に担任に無理やり行かされました。
「絶対来てね。私の株に影響が出る」と…

そのあとから精神科のほうで「これ以上学校に行かせないでください」と言われ学校には行かなくなりました。
そのころには リスカ OD 首絞め はもう出てました。

odして運ばれたとき お母さんは「仕事に行ってる。お前みたいに休んでる暇はない」といいました。
スクールカウンセラーには通いました。
塾もやめました。

学校で思い切り腕を切り教室に戻り悲鳴も上げられました。
卒業式は行ってません。

高校は通信でした。
バイトをやっても精神的に続かなくてやめたりを繰り返していました。
ストレスでご飯を吐くようになり一時期36キロになりました。
腕の深さもだんだんエスカレートしていってました。
精神科を変えて検査をしたときに軽度の知的障害がわかりました。
母ははじめを受け入れませんでした。
児童相談所で検査すると重度寄りの中度と言われました。
いろんな男の人とも付き合いました。初めては「レイプでした」
殴られたり 性欲処理係にされたり、いろんなことがありました。
バイトができない私は 「いただき女子」をしていました。

高校でも人間関係はうまくいかず一人でした。

18になり就労移行支援に親に通わされました。
そこの男の人にストーカーをせれ、急いで就職したら社長含め4人からのセクハラ。耐えれなくなりやめました。

自分は不幸だと「ネット」にこもるようになりました。
ODもやめれず いろんな男に会いに行き、「監禁される」「金をとられる」「俺のこと好きなら風俗で働いてこい」「お前なんか死んでも生きててもどっちでもいい存在」など言われてました。

引きこもるようになって 母ともうまくいかなくなり
「月5回」は救急車に乗ってました。

今も引きこもってます。
私の物語。ざっくりした生き方の話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?