読書感想 辻山良雄『しぶとい十人の本屋ーー生きる手ごたえのある仕事をする』
こんにちは。
今月刊行された『しぶとい十人の本屋ーー生きる手ごたえのある仕事をする』を読みました。
荻窪で2016年から新刊書店「Title」を営む辻山良雄さんが、日本全国の"しぶとい"書店を巡り、自らの仕事について考えるなかで、その思いを綴った一冊。
「本が売れない時代」と言われる現代で、書店を自ら営む人びとは仕事に何を思うのか。
本に関わる仕事に限らず、日々の苦労や繰り返しのなかで働くことや生きることの意味を見失いそうになることは少なくない。
"しぶとい"とは、ちゃんと売上を保ち商売を続けながらも、自らにとって大切なことを貫き続けるというマインドのことであり、それこそが「生きる手ごたえのある仕事をする」ということにつながる。
本を読むなかで、懸命に働く彼らの姿勢に自分も励まされる。自分の信じるものを大切にする、そういう仕事がこの世を豊かにしていく。そういう在り方が本書の人びとには表れているからだろうか。
この本の序章で引用される、
The Rolling Stones『Salt Of The Earth』は労働者階級の民衆を聖書における「地の塩」に重ね、讃える歌だ。
そして本書は、その聖書の「地の塩」の一節の引用から始まる。
このあとは「あなたがたは世の光である……あなたがたの光を人びとの前に輝かしなさい」という風に続くが、「世の光」に比べると「地の塩」はわかりづらい。しかし大体同じことを言っている。
あなたはあなたらしさを失わず、それによって大地を豊かにし、世を照らそうとしつづけなさい、というメッセージだ。苦境にあっても信じるものを捨てない者達を讃えた言葉だと言える。
だけど「世の光」に比べると「地の塩」はあまり地味で目立たないものだ。しかしだからこそ、ストーンズが歌うのも、この本が書くのも「地の塩」なのだと思う。足元を支えるのは、小さな塩の一粒一粒である。
そして小さくても世を照らす光でもある。
印象に残ったのは、関東で生まれ沖縄で「市場の古本屋ウララ」を営む宇田智子さんのお話。
「東京でつくられた本を見ると、どの本も東京の人向けにつくられているように感じる」という言葉にすごく頷いた。
自分は東北出身でいまは関東で暮らしている身なのだけれど、向こうにいたときは本にある話というのはどこか遠いところの話という感覚があった。というか地元を出てはじめてそのことに気付いた。
本にある地名は実際に行けるところで、雑誌に載っているお店やイベントは週末のお出かけ先の候補になる、そういう世界があるのだな……と知ることになった。
経済とか文化とかもやはり東京が中心というかメインストリームになっていて、本というのは東京にある出版社で、そうした流れに乗って作られる。
本やインターネットなどのメディアを通してそうした中心的な流れを知ることはできても、体感することは難しい。それが都市と地方の断絶なのだと思う。
しかし東京という大きな中心を追いかけるのではなく、むしろ地域に寄り添い、その地域を中心としていく力が、「ウララ」をはじめとした各地の本屋には感じられる。
辻元さんは宇田さんの仕事をする姿に「一隅を照らす」という言葉を用いていた。その店はそこにあるだけでその場を照らす光になるのだ。
東京にいないと分からないこともあるなあ、と東京にいると感じる。しかし都会で星空が見えづらいように、東京にいるからこそ見落としているものが数多くあるといつも思う。
まだ今後の人生、どこでどういう風に生きていくかわからない部分も多いが、自らのいる場所を耕し、少しでも照らすようにしていきたい。そう言うと大げさなら、自分や友だちの落ち着いて居ていい場所があったらいいなあと思う。「自分の椅子を見つけた人」という宇田智子さんの章のタイトルを見て、改めてそう考える。
……昔、学校の図書館で借りた何かの本に「あなた方は世の光である」と書いた手作りの栞が挟まっていたのを、noteを綴りながらとても久しぶりに思い出した。そのときは、えー、そうなんだ、くらいにしか思わなかったのだけど。
わたしは書店のない街で生まれたが、それでも振り返ると、本がないといまの自分はないだろうという気がする。つまり塩であり光である。
そしていまの自分を大切にするということが地の塩、世の光であろうとすることなんじゃないか。
本を読むひともあまり読まないひともいるだろうから、本の話は置いといても、自分や相手を人としてそれぞれ大事にするという当たり前のことがあなたをあなたにする。
この本には最初から最後までそういう繋がりが感じられて、いい。
しぶとい人々に乾杯。
友だちとビールが飲みたい。
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