【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #15
10月4日(金)――(5)
「……明日は、土曜日だな」
逡巡の末、僕はそう話を振ってみることにした。
迷惑がられている気配を察知したら、大人しく引き下がるとしよう。あくまで、少女の気持ちが最優先である。
「むむ、もうそんなに日が経つのか。……あ、いや、人間の暦では、そう呼ぶのだな?」
「そ。だから明日は、学校が休みなんだ」
「良いことじゃないか」
「そうだけど。だから、夕方にここへは来られないってことを言いたくて――」
「えっ」
果たして、少女は愕然とした声を上げた。
それは、少女自身が夕方でないとこの神社へ来ることができないことへの落胆か。
或いは、僕がこの神社へ来られないことへの悄然か。
「嘘だろう、アキ?! どうして? なんで? もうここへ来てくれないのか? アキ?!」
声音だけ聞けば、か弱い少女による必死の訴えである。
だがしかし、少女は僕の肩を力いっぱい掴み、身体をがくがくと揺さぶりながら、その声音なのだ。
声と行動の差たるや、乱高下があまりに酷い。
「ちょ、おち、落ち着けって」
脳が揺さぶられる感覚に耐えながら、どうにか少女に声を掛ける。
「話は、まだ、途中だから」
「あっ、そ、そうなのか。すまない」
言いながら、少女はぱっと手を離してくれた。そうして、指をいじいじと絡ませる。どうやら、早とちりをしてしまった自分を恥じているらしい。
「いや、僕の言いかたも悪かった」
まだ身体が揺れているような錯覚に陥りながら、非を認める。
「明日は土曜で休みだろ? 夕方じゃなくて、午前中から来られるって言いたかったんだ」
「お、おお……!」
少女の表情は見えないが、雰囲気がぱっと明るくなったような気がした。
思わずにやけそうになる口元を引き締めて、僕は、それで、と話を続ける。
「怪我の手当てとか、歌の練習とか。お前には助けられてばっかりだから、なにかお礼がしたいんだ。それで、明日は弁当を持ってこようと思うんだけど、リクエストとかあったら聞かせてほしいなって思って」
「むう……」
しかし少女の反応は鈍かった。
数日間、ろくに食事を摂っていないとしたら、この提案には飛びつくものかと思っていたのだが、どうも違うらしい。少女の反応を見る限り、嫌がっているわけでもなければ、迷惑がっているわけでもなさそうだ。昨日のお茶や、今日のコーヒー牛乳のように、少女は遠慮しているだけ。
「この間、うちの畑でさつまいもがたくさん採れたから、そうだなあ、大学芋とかスイートポテトとか、コマは好きか?」
「好き! ……あ、いや、その……」
反射的に答え、あうあうと言葉にならない音で誤魔化そうとする少女。
もうひと押しと言ったところだろうか。
「コマと一緒に弁当を食べられたら、きっと楽しいんだろうなあ」
「うう……」
「この神社へのお供え物として。どうだ?」
「……そういうことなら」
まだ納得しきれていない様子だが、少女はゆっくりと首を縦に振ってくれた。
それだけでも、僕の心が弾むのがわかった。
「良かった。ちなみに、他にリクエストとかある? 苦手なものとかあれば、それも教えてくれると助かる」
すっかり縮こまってしまった少女は、視線を地面に向けながら考える。
ああくそ、困らせたいわけじゃないのに。
「じゃ、じゃあ……おにぎり」
少し考えた末、少女はぎりぎり聞き取れるほどの小さな声で、そう言った。
「わかった。好きな具はあるか?」
「んん……。梅干しとか、鮭とかだろうか。普通のやつ」
居心地の悪そう答えていた少女は、思いきったように、アキ、と僕を呼ぶ。
「本当に迷惑じゃないのか? お礼とかお供え物とか、そんなことしなくても、ワタシはアキが怪我をしていたら手当てをするし、これからも一緒に歌の練習をするぞ?」
その言葉に、僕は頭の中がぐるぐると回るような感覚がした。
僕と少女の関係は、果たして利益を求めてのものなのだろうか。
いいや、それは違う。
脳裏に一瞬でも過った考えを否定し、あのさ、と僕は言う。
「僕も上手くは言えないんだけど。お前が僕の手当てとかをしてやりたいってのと、僕がお前と一緒に弁当を食べたいって気持ちは、たぶん、おんなじだと思うんだ」
自分の考えていることを他人に伝えるなんて、しばらくの間していなかったから、声がいつにも増して頼りなさげに聞こえる。
だけど、伝えたいと思った言葉は、きちんと伝えなければ。
今日会えた人と明日も必ず会えるなんて保障は、どこにもないんだ。
「……少し重い話になっちゃうんだけど」
少し迷った末にそう前置きして、僕は言う。
雰囲気が悪くならないように、せめて口調を明るくして。
「僕の両親と兄さん、この三月に交通事故で死んじゃっててさ。今は、ばあちゃんと二人で暮らしてるんだ」
どうしても少女のほうを見て話すことはできなかったが、少女から同情の言葉が出ることはなかった。
単に、僕がこの話をし始めた意図を掴みかねているだけかもしれない。
それでも、僕にとっては幾分かは話しやすい。
「家族のことはショックだけど、それと同じくらいきつかったのが、周りの反応でさ。ここは田舎だから、誰にも事故のことは言っていなくても、みんな知ってて当然のことなんだ。次の日から、クラスメイトとか近所の人とか、あからさまに態度を変えてきたんだ。『可哀想だから、気を遣ってあげなくちゃ』って、勝手に距離を作って、望んでもない配慮をされた。体調が悪くて学校を休んだだけで、それを事故の影響だって憶測でものを言われたりもした。なにをしていても誰かから常に見られていて、それと事故のことを繋げて考えられてしまう。それが、ものすごく息苦しかった」
だけど、と言いながら、僕は顔を上げた。
「コマと一緒にいるときは、そういう息苦しさを感じないんだ。むしろ息がしやすいくらいで、僕にとってはこの時間がすごく貴重で楽しい。だけど僕だけが楽しいんじゃあ、それはただの自己満足だ。お前にもとっても楽しいと思える時間を、僕は一緒に過ごしたい」
少女になら、この話をしても大丈夫だと思ったんだ。
それくらい、僕は彼女に救われていたから。
互いの様子を遠目に窺っているより、近づいて、いろんなことを話してみたい。
「このことは、別に話さなくても良かったのかもしれない。そのほうが、僕にとっては快適な環境だったかもしれない。でもコマになら話しても大丈夫かなって思ったんだ。だから、その、コマもあんまり遠慮しないでくれると、そのほうが僕は嬉しい」
そう言って、僕は話を閉じた。少し乱暴な終わらせかたになってしまったが、言いたいことは言えたと思う。
少女はこの話を聞いて、少し考え込んでいるようだった。
大した沈黙でもないのに、今はそれがとても長いように感じられる。
「……前にも言ったが」
そうして、僕の話を丁寧に咀嚼し飲み込んだ少女は、ゆっくりと口を開いた。
途切れ途切れになる言葉を、それでも繋ぐ。
「初めてアキを見たとき、その目がすごく格好良いと思った。ワタシもアキみたいに格好良くなりたい。アキがもっと魅力的な人間になれるなら、ワタシはそれを手伝いたい。互いを高め合うような、楽しい時間を過ごせるような関係になれたらと、そう思うのだ」
だけど、と少女は続ける。
「楽しいどころか、あまりにアキと過ごす時間が心地良すぎて、そういう難しいことを考えるのを忘れてしまっていた。ワタシたち、まだ出会って数日しか経っていないというのに、不思議な話だ」
「それって……」
その言葉を受けて、僕の顔は自然と綻んだ。
そして少女も、お面の下で微笑んだ――ような気がする。
それは、ほとんど確信に近い直感だった。
「……ああ、そうか」
確認するように、少女は何度か頷く。
「ワタシたち、いつの間にか、友達になっていたのだな」
その声が、嬉しそうに震えていて。
「みたいだな」
それだけで胸がいっぱいになった僕は、それだけしか言えなかった。
不器用な一人と独りは。
この日、友達になった。
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