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BUMPのお気に入り歌詞


先日、Xにてこのようなポストが流れてきました。


BUMP OF CHICKENのボーカル 藤くんこと藤原基央さんが書いた歌詞の厳しさをユーモアを交えて紹介したポストですね。

このユグドラシルというアルバムは僕が中学生の時に初めてTSUTAYAで借りた思い出のアルバムです。
そういったわけで、このポスト、それに伴う引用ポストやリプライの数々は僕にもかなり刺さる内容でした。

中学・高校という多感な時期にBUMPの曲を聴きまくっていましたし、大袈裟かもしれませんが、BUMPは僕の人格形成の一端を担った存在であるような気もしています。
実際、今でもBUMPの歌詞で語られているような考え方をしているところがあると自分自身感じることも多いですし。

そんなことを懐古しているうちに、僕のBUMPのお気に入り歌詞を語りたくなったのでここで語ることにします。


きっかけ


さて、本題に入る前に僕とBUMPの出会いを少々…

先ほども言ったように、僕がBUMPを知ったのは今から10数年前、中学生の時です。

友人に薦められたのがきっかけでした。
天体観測くらいは知っていましたが、それ以外の曲をちゃんと聴いたのはそれが初めてだった気がします。
ちなみに初めて聴いた曲は『K』でした。

週末の大通りを
黒猫が歩く
御自慢の鍵尻尾を水平に
威風堂々と
その姿から猫は
忌み嫌われていた
闇に溶ける その体目掛けて
石を投げられた

孤独には慣れていた
寧ろ望んでいた
誰かを思いやる事なんて
煩わしくて
そんな猫を抱き上げる
若い絵描きの腕
「今晩は 素敵なおチビさん
僕らよく似てる」

腕の中もがいて
必死で引っ掻いて
孤独という名の逃げ道を

走った 走った
生まれて初めての
優しさが 温もりが
まだ信じられなくて

どれだけ逃げたって
変わり者は付いて来た

それから猫は絵描きと
二度目の冬を過ごす
絵描きは 友達に名前をやった
「黒き幸」“ホーリーナイト”
彼のスケッチブックは
ほとんど黒尽くめ
黒猫も 初めての友達に
くっついて甘えたが ある日

貧しい生活に 倒れる名付け親
最後の手紙を書くと
彼はこう言った

「走って 走って
こいつを届けてくれ
夢を見て飛び出した僕の
帰りを待つ恋人へ」

不吉な黒猫の絵など売れないが
それでもアンタは俺だけ描いた
それ故 アンタは冷たくなった
手紙は確かに受け取った

雪の降る山道を 黒猫が走る
今は故き親友との約束を
その口に銜えて
「見ろよ、悪魔の使者だ!」
石を投げる子供
何とでも呼ぶがいいさ 俺には
消えない名前があるから
「ホーリーナイト」
「聖なる夜」と 呼んでくれた
優しさも温もりも
全て詰め込んで 呼んでくれた
忌み嫌われた俺にも
意味があるとするならば
この日のタメに生まれて来たんだろう
どこまでも走るよ

彼は辿り着いた 親友の故郷に
恋人の家まで あと数キロだ

走った 転んだ
すでに満身創痍だ
立ち上がる間もなく
襲い来る 罵声と暴力
負けるか俺はホーリーナイト
千切れそうな手足を
引き摺り なお走った
見つけた! この家だ!

手紙を読んだ恋人は
もう動かない猫の名に
アルファベット1つ
加えて庭に埋めてやった
聖なる騎士を埋めてやった

K/BUMP OF CHICKEN


めちゃくちゃ衝撃でしたね。
「え?歌って、こんなことしていいんだ?」
って思った記憶があります。

だって曲が1つのストーリーになってるんですよ?
しかも最後に『K』という曲名を回収しているんですよ?
そんなん、もう、小説ですやん。

当時の音楽シーンと言えば、
ファン◯ンとか、いきもの◯かりとか、幼稚系の歌ばかりが評価される世の中でした。
「ありがとう」とか「がんばろう」とかそういうニュアンスの言葉を羅列した歌詞でしたね。
ああいう歌で、元気を貰った!とか言ってる人はハナから別に元気だっただけだと思います。

そんなプラシーボソングが世の中に蔓延っていた中で、先ほどのようなBUMPの歌詞が僕には光って見えました。
具体的でリアリスティックなんですよね。
うわべじゃないんですよ。

まあそんなこんなで、どハマりしましたね。
ライブにも結構いきました。

いつかのライブで買ったグッズとニコル
※ニコルはBUMPのマスコットキャラクター


BUMPの曲は全曲聴いてますが、(最近の曲以外)
その中で特にお気に入りの歌詞がある5曲に関してここでは語らせてもらいます。

ちなみに、僕は歌詞考察とかは全く見ていません。
歌詞の意味とか背景は自分に都合の良いように好きに受け取ったらいいじゃないですか。
その方がハッピーじゃないですか。

僕はそのスタンスで自分なりに解釈した上で綴らせてもらいますので、悪しからず。


透明飛行船

鉄棒が得意だったけど よく慣れた技を舐めてかかり
後ろ向きに頭から落ちた 飛行船が見えた昼休み

優しい保健の先生 泣かなかった事褒めてくれて
仲良し度微妙な友達が 歩けるのにおぶりたがっていた

掃除中教室に戻って ヒーロー扱いされた後
午後の体育で気が付いた 得意が苦手になっちゃった

それからどうした おや 忘れちゃったの 君は

精一杯 精一杯 笑ったでしょう
皆の前 あの子の前 取り繕って
誰も気にしない様な事
それでも自分には大ゴト

透明飛行船/BUMP OF CHICKEN
より一部抜粋



最初から最後までフルで良い歌詞ですが、特にお気に入りの1番の歌詞を抜粋させてもらいました。

まず、この解像度の高さですよ。
この歌詞を見ただけで、恐らく小学生の話をしているであろうと推測できますが、この小学生あるあるの強さと解像度が凄くないですか?

鉄棒が得意だったんでしょうね。
彼はきっと色んな技ができて、それなりに鼻も高かったのでしょう。
鉄棒ができるやつがチヤホヤされるフェーズは少なからず訪れますからね。
だからちょっと調子乗ったんですかね。
よく慣れた技を舐めてかかったら、落っこちちゃって。

そういうアクシデントがあった時に、大して仲良くもないのにここぞとばかりに前に出てくるやつっていますよね。
「おい、大丈夫か!歩ける!?おぶってやるよ!」って。
コイツもきっと(クラスメイトを助ける俺⭐︎)としてチヤホヤされたいだけでしょう。

仲良し度微妙な友達が 歩けるのにおぶりたがっていた

そんな小学生のあるあるかつ皮肉のニュアンスまでも汲み取れる、この1フレーズヤバくないですか?めちゃくちゃ好きです。

ほんで、掃除の時間に教室に戻ったらクラスメイト達からやたらとヒーロー扱いされて。
小学生のあの風潮なんなんですかね。
保健室から戻ってきただけで、やたらと湧くあの風潮。
しかもここでの場合、自損事故ですし。
まあでも、小学生にとって自損か対人かなんてどうでもいいことですからね。

どうですか?
ここまでの解像度の高さ凄くないですか?

僕は常々、解像度の高い人間になりたいと思って生活しています。
誰かに何かを説明する時、高解像度かつ端的に話すよう心がけているのですが、これがかなり難しい。

僕のような凡人は、解像度を高めようとするのに比例して、話もダラダラと長くなります。
端的な話を意識する場合はその逆の現象が起こります。

解像度×端的
この2軸の両立はかなり難しいと日々感じているのですが、それを見事なまでに両立させている話や文に出会えた時、感動して失禁してしまいます。

この曲のAメロ・Bメロでは、そんな歌詞で殴られまくるので本当に嬉しいです。
僕みたいなヘキを持ち合わせている方にはかなり快感なんじゃないでしょうか。
オススメです。

あと小学生あるあるのレベル高くないですか。
あるあるなんていうチンケな言葉で一括りにしてしまうのは申し訳なさもありますが…
言い尽くされたあるあるじゃないんですよね。
一個深いとこ行ってるけど、みんな共感できる凄く良いラインじゃないでしょうか。

ここで語りたいのはそんな解像度の高さとあるあるの強さだけではありません。

誰も気にしない様な事
それでも自分には大ゴト

僕が何かに迷った時、悩んだ時、他人からどう思われるだろうと考え込んでしまった時、僕の頭にいつもこのフレーズが流れてきます。

「自分からしたらオオゴトやけど、他人からしたらどうでも良いことやしな⭐︎
ほな自分の好きにしたらいっか⭐︎」

みたいな感じで、僕の中で軽やかに決断できるようになる魔法のフレーズです。

誰も僕に興味なんかありません。
興味あるように振舞っていても、実際はその人も自分自身のことにしか興味はあまりません。
僕の決断が与えるその人自身への影響を案じているに過ぎないのです。
誰しもがその人自身に起こることはオオゴトで、他人に起こることは本質的には気にならないことなのです。

藤くんはそこまでのことは言っていないかもしれませんが、僕自身そのように解釈することでかなり楽になっているところがあります。
正解の分からないことなんて、自分の都合の良いように解釈してハッピーになりましょう!


プレゼント

世界に誰もいない 気がした夜があって
自分がいない 気分に浸った朝があって
目は閉じてる方が楽 夢だけ見ればいい
口も閉じれば 呆れる嘘は聞かずに済む

そうやって作った 頑丈な扉
この世で一番固い壁で 囲んだ部屋
ところが孤独を望んだ筈の 両耳が待つのは
この世で一番柔らかい ノックの音

ええと、うん
きっと 今もまだ震えながら 笑おうとして泣いて
音の無い声で助けを呼ぶ それは 正しい姿

このままだっていいんだよ 勇気も元気も生きる上では
無くて困る物じゃない あって困る事の方が多い
でもさ 壁だけでいい所に わざわざ扉作ったんだよ
嫌いだ 全部 好きなのに

プレゼント/BUMP OF CHICKEN
より一部抜粋



この曲も『K』のようなストーリー仕立ての曲なので、フルで聴いてこその曲ではあるのですが、その中でも特に語りたい部分を抜粋しました。

この曲の素敵なところは、人間らしさが溢れているところです。
人間らしさという抽象的なものが、かなり具体的に表現されています。
抽象的なはずのものなのに、手触り感が凄いです。

僕は人間らしく生きている人間が好きですし、僕自身もそうありたいと思って生活しています。
なんか、人間らしさが溢れている人って愛おしいじゃないですか。
でも人間らしさって他人に見られると恥ずかしいんですよね。
だから多くの人間は人間らしさを隠したくなってしまうものですが、隠したくなるという感情すらも人間らしさな気がします。
でも、隠しきってしまうとそれはもう対外的には人間らしさを感じられないんですよね。
奥ゆかしいです。

だからこそ人間の人間らしさが溢れているSNS(=Xとかnoteとか)が僕は大好きなんだと思います。
オフラインの生活では、絶対に摂取することのできない人間らしい本音や考えを摂取できる場所ですから。

ちょっと話が変な方向に行ってしまいましたが、とにかく僕は人間らしさが好きなんです。
この曲にはそれが詰まっています。
さあ歌詞を見ていきましょう。

世界に誰もいない 気がした夜があって
自分がいない 気分に浸った朝があって
目は閉じてる方が楽 夢だけ見ればいい
口も閉じれば 呆れる嘘は聞かずに済む


…まあ、なんか、嫌なこととかあったんでしょうね。
生きてたらありますもんね、嫌なこと。
それで「もういいっ!!」って心も目も口も閉ざしちゃったんですね。
「もう誰とも関わりたくないっ!」
「1人にしてっ!」って感じですよね。
ありますよね、そういうことも。

ところが孤独を望んだ筈の 両耳が待つのは
この世で一番柔らかい ノックの音



…あっれれ〜?おかしいぞ〜?
そこに閉じこもったのはあなたじゃないですか〜?
なんでノックを待ってるんですか〜?

なんて、意地悪を言いたくなってしまいますが、この矛盾こそが人間らしい普遍的な言動ではないでしょうか。

結局のところ、そこから引っ張り出してくれる人を待っているんですよね。
構ってほしいんですよね。
言動と本音が一致していないのです。
なんて愛おしいのでしょう。

きっと 今もまだ震えながら 笑おうとして泣いて
音の無い声で助けを呼ぶ それは 正しい姿


そう、こうした矛盾こそが正しい姿なのです。
人間の本来の人間らしい姿なのです。

そしてこの後の歌詞、激ヤバです。

このままだっていいんだよ 勇気も元気も生きる上では
無くて困る物じゃない あって困る事の方が多い

初めて聴いた時は世界がひっくり返ったかのような衝撃でした。
「…確かにッ!!!!」
と、叫んでしまいましたね。

勇気や元気があるから、
(頑張ろう…!!)みたいな前向きな感情が起こってくるのです。
(このままここに閉じこもってちゃダメだ…!)みたいな発想になってしまうのです。

勇気も元気もなければ、そんな感情が起こることはなく、その場に居続けることができ、安寧を享受し続けられるのではないでしょうか。
それも1つの幸せだと思います。

今でこそSNSの普及により、
辛かったらやめてもいい。苦しかったら逃げてもいい。みたいな考えが世間から一定の理解を得るようになっていますし、
実際にその選択をする人も世の中には一定数いるということが知れ渡ってきました。

僕がこの曲に出会った2010年頃には、そんな考え方はそれほど市民権を得ていなかったように思います。
その時代に書かれた、そういった考え方にも寄り添うようなこの歌詞はかなりインパクトがありましたし、優しさを感じました。

でもさ 壁だけでいい所に わざわざ扉作ったんだよ
嫌いだ 全部 好きなのに

これ以上説明は不要でしょう。
なんて人間らしいのでしょう。
なんて愛おしいのでしょう。
愛おしさのあまり、愛お死を遂げてしまいそうです。

そんな致死量の人間らしさを感じられる『プレゼント』
聴いたことのない方はぜひ聴いてみてください。


…さて、次の曲は…
といきたいところなのですが、なんか疲れたんで一旦ここまでにします。
5曲書くぞ!って意気込んで書き始めたのですが、さすがに長えですよね。
書き手も読み手も長えって思う頃合いじゃないでしょうか。
疲れたんでやめましょうね。

気が向いたらまた別の曲も書きます。
今日は一旦ストップで。

5曲やる!って宣言して、2曲で終わっちゃうのも、
僕の"人間らしさ"ってことで。

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