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夏の夜、阿波踊りとおばあさんの言葉

今日は、お盆の阿波踊り本番に向けて、初めての屋外練習の日だった。

道の駅の一角を借りて、7時半から9時頃まで、何度も通し稽古をした。7月から9月の週末はだいたいどこかで出番があるので、合間をぬって行われる練習にも熱が入る。

平日夜の道の駅には、ちらほら車が停まっていた。通りすがりの人もいて、10人くらいかな、遠巻きに練習を見物してる人たちがいた。

踊り手が“ヤーー!”とポーズを決めると、ぱらぱらと拍手をくれる見物の方々。蒸し暑い夏の夜、汗だくの練習にもすっと気合いが入った。

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阿波踊りには男踊りと女踊りがあって、さらに私たちの連(れん: 踊りのチームのこと)には小学生のちびっ子パートもあり、約10分の演目中に、それぞれのパートが舞台に出たり袖にはけたりする。(ちなみに私は男踊り担当。女踊りは女性だけだが、男踊りは男性でも女性でも踊れる。)

私の出番はオープニングと男踊りの構成パートで、オープニングが終わると数分間は舞台袖で待つことになる。

今日の練習でも、本番同様の動きで通し稽古をしていた。2分程度のオープニングが終わると、私は他のメンバーの邪魔にならないところに移動して、ちびっ子や女踊りさんが踊るのを眺めていた。

その時、ふと横を見ると、見知らぬおばあさんが隣に立っているのに気がついた。全然気配がなかったので、一瞬ぎくりとしたが、おばあさんはつぶらな瞳を細くして「初めてみたわぁ」と笑って言った。

えらく感動した様子だったので、お盆に向けて練習してる旨を伝えると、「どこでやるの?」「いつやるの?」とおばあさんは勢いよく話しかけてきた。

私が質問に応えると、おばあさんは嬉しそうにもっともっと話をふってきて、その内容は阿波踊りとは関係ないおばあさん自身のことに変わっていった。

東京から来たこと、
杉並区に住んでる(住んでた)こと、
職場は有楽町だったこと、
「◯◯工業」という立派な会社で働いてたこと、
そこは入社試験が難しく大卒の人が試験を受けないと入れないところだけど、私は試験をパスした(試験なしで入れた)こと、

おそらく70歳は過ぎていると思われるそのおばあさんは自慢気に自分語りを始めた。失礼を承知で言うが、聞いてもいない自慢話をする高齢者の方は多い。高齢化率50%近い町に住んでいると「自分語りおばあさん(おじいさん)に出会うこと」は日常茶飯事だ。失礼ながら私は「あぁ、いつもの感じね」と思い、曖昧な返事をしながら聞き流していた。

その間も稽古は続いていて、その時は女踊りさんたちが踊っていた。軽快な二拍子のリズムが響く。もうすぐしたら変調して女踊りが終わり、その次は私も踊る男踊りパートだ。一斉に袖から飛び出すのでそろそろスタンバイしないといけない。

踊りの方を見ながら、練習に戻るタイミングを伺っていた。横ではおばあさんがまだ話し続けている。

そろそろ切り上げようかなと思っていた時、おばあさんの声が急にしゃんとしたように聞こえて、妙にクリアに響いてきた。

「あなたも頑張りなさいね。簡単な方に流されちゃだめよ。あえて難しい方にいきなさいね。それが成長の秘訣よ。いいところにいけばいい人たちがいる。そういう環境に自分を持っていくのが大切なんだからね。」

え?と思っておばあさんの方をふりむくと、自分語りを始めた時のまんま、ニコニコしながらこっちをみていた。

そして、なんだかすごくしっかりとした声(のように私には聞こえた)で、「頑張りなさいね」ともう一度言った。

それまでの自慢話と続いているのかいないのかわからないけれど、よくわからないまま私は「頑張ります」と応えた。

おばあさんはうんうんと軽く頷いてから、すっと低い位置で手を差し出してきた。「コレ、あげる」手には小さな正方形に折られた1000円札が握られていた。

本番ならまだしも練習中に、しかも個人的に、お花をいただくことはできない。私は丁寧に断った。

おばあさんはしばらく引き下がったけど、「お気持ちだけ」と繰り返す私に諦めたのか、「わかったわ。ごめんね、手ぶらで来て」と言って、踊りを最後まで観ずに去って行った。

それからすぐに男踊りのパートになったので、私は位置について稽古に戻った。時間にしてたった数分のおばあさんとのやり取りだった。

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「あえて難しい方に行きなさい」

その言葉をおばあさんが私にかけてきたのはたまたま偶然なんだろうし、その言葉がすごく響いたのは、たまたま個人的に今が仕事の頑張り時だからだろう。そう思いつつ、なんだか夏の夜のすごくドラマチックな一場面に思えてドキドキしてしまった。

今日のこのエピソードは、この部分だけだったら全くオチのないただの会話に過ぎないと思う。

でもこれはきっと今日だけで完結するのではなくて、これまでのことや、きっとこの先のどこかの何かにつながっていて、その時になってやっと何か特別な意味を持つ名場面になるのかなと、そんなワクワクを感じてしまう。

人生のストーリーがどう流れていくかは誰にもわからないけれど、どんな長い物語も一つのシーン、一つの場面の連続だ。一つひとつをいかに面白がれるか、そこにどんな意味を感じるか。それが大切なんじゃないかなと、ふいのおばあさんとの会話で感じた夜だった。





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