上手に嘘をつける大人になりたい
なんでこんなに分からんねん。
土曜日のエドワードボイルに人はまばらで、私は広すぎる部屋の中、
ほとんど泣きそうになりながら、アルファベットがびっしりと敷き詰められた分厚い本と格闘していました。
留学していたイギリスのリーズ大学には図書館が四つあって、私は中でもBrotherton Libraryと、この、Edward Boyle Libraryがお気に入りでした。
大英博物館をモデルにしたとされるブラザートン図書館は、中央がドーム型の”Round Reading Room”で、ザ・イギリスの学校って感じ。
由緒正しく、歴史情緒溢れる佇まいは、ぼーっとしてたらスリザリンの奴らにどつかれそうな、おどろおどろしい、厳格な雰囲気で好きでした。
一方エドワードボイル図書館は、正面入り口の全面がガラス張りで、近代的な建物。
街の中で最も大規模な図書館で、専門性の高い文献や資料、各種ジャーナル、オーディオ機材や年季の入った映像資料も所蔵されていて、静かなパーソナルスタディースペースも多くあり、
テスト期間や学期はじめは、早朝から夜中まで開いていて、
ネイティブばかりの授業についていけなかった私は、だからエッセイ提出期限が迫ると、ほとんど毎日図書館に入り浸っていました。
泣きながら歯を食いしばるアジア人
「毎日図書館に入り浸っていた」
なんて言うと、めっちゃ真面目に頑張ってた優等生みたいに思われるかも知れませんが、
ただ単に、全く授業の進捗ペースにおいつけていなかっただけです。
クラスメイトが30分もあれば読み終えるモジュールを、単語力も知識も乏しかった私は、図書館であれよこれよと読み漁り、ようやく納得できるレベルでした。
中には、分からなさ過ぎて全く授業と関連性のない文献に時間を割き、気付いた頃に、なんの話やねん、と泣いたこともあったし、
もう落第でもいいや、と投げやりな気持ちになったことが数えきれない程あります。
今にして思えばとても良い訓練になったと思うのですが、当時は
「ぜんぶ燃やしたろか」
と、物騒なことを考えながら、相当カリカリしていました。
救世主現る
で、土曜日のその日。
誰も居ないエドワードボイルの自習室で、例によって半泣きで何かしらの本とにらめっこしていたとき。
「困ってそうだけど、大丈夫?良かったらそれ、チェックしようか?」
と、独特のアクセントのある英語で声をかけてきたのは、インド系イギリス人の男性。
どっからどう見ても学生ちゃうよな、と思いつつ、というか海外の人って同世代でもめちゃくちゃ年上に見えたりするし、場所が場所なだけに私も全く警戒せず
「まじ?助かる!」
と即答。
それはそれは助かりました。
内容は大幅に変えず、使う英単語を微妙に変えてくれ、それだけで私のエッセイは、誰か偉い人が書いたみたいなハイクオリティーに。
名前は忘れたけど、ほっんとうに助かりました。
ありがとう!
ということで、突如現れた救世主により提出期限を破ることなく、それなりの完成度のエッセイを書き上げることに成功。
無償なわけがないと思い知る
それから私たちは、お互いについて少し談笑し、彼が大学院の医学部の生徒であるということも判明。
僕もたまにホームシックになるよ。実家はロンドンだけどね。
こちとら日本やで。
家族で英語を話せるのは僕だけやねん。
へぇ。いやー、ほんと助かった、ありがとー。
平和”過ぎる”日本と違い、タダのものなんてない。
自分の身は自分で守れ。
親切心の裏には、必ず何かがある。
そう思っていたさっきまでの自分を、ビンタしたくもなりました。
だって初対面の私に、しかも救いようのない語学レベルの私に、ここまで面倒くさいことをしてくれるなんて。
なんて素晴らしい世界なん。
What a wonderful world.
幸福感に浸っていたとき。
「By the way, are you single? 」
と、唐突に聞かれました。
そのときの私に彼氏はおらず、また、シングル=独身という意味合いでしか使われないと思っていたから、
自分の気持ちが妙に不快な色に変わったことに気付きながら、
「そうやけど」
と、がっかり答えました。
こりゃ、一定の距離感を保たないといけないな。
警戒心が芽生え、考えはまた一変。
お礼にコーヒーでも、と誘おうと思ったけれど、なんとなくそうはしませんでした。
連絡先だけを交換し、その日はそれぞれ帰りました。
しつこく連絡が来る
あれほどまでに、
「あんた、私の彼氏にでもなったつもり?」
と思うことは、後にも先にもないかも知れません。
あの日以降、朝から晩まで彼からのメールが届き、
内容はもう、何年も付き合ってる熟年カップル並みの親密度。
なに?文化の違い?
いや、それだけじゃないやろこの違和感。
そろそろどうにかしないとと、フラットメイトのフィリップに相談すると
「そりゃシングルじゃないって、嘘でもいいから言わなアカンやろが」
と、軽く叱られました。
え?私が悪いわけ?
てゆーか、シングルって、独身ってことちゃうのん?
「ちゃう。彼氏やパートナーがおるか、それを聞かれてんのに、『いないよ』なんて言われたら誰かって期待するがな」
もう……、
状況整理が追い付きませんでした、
私はウブな、ただの二十歳でした。
嘘つかなかったから怒られる
それからフィリップのアドバイス通り、
「ごめん、彼氏が嫉妬しちゃうから、これ以上連絡取れない」
と返すと、
「彼氏おらん言うたやないけ」
と、返ってきました。(ニュアンス誤差有)
見るからに赤くなった彼の顔が浮かび、とても申し訳ない気持ちになりました。
……理不尽じゃね?
と、今までずーーーっとそう思っていたのですが、人にはそれぞれの個性、受け取り方、関わり方があるんだから、どうすれば良い関係を築けるのか、それを見極める嗅覚を持たないといけないな、と自戒の念を込めて思う今日この頃です。
あのとき、もし私が
「No, I'm not a single. 」
と答えていれば、何か変わっていたのかな……。
変わったかも知れないし、遅かれ早かれな気もします。
しかし少なくとも、彼の気持ちを逆撫ですることはなかったでしょう。
さて今から読むぞ、と本を手に取ると、どうしてもあのときの何とも言えない微妙な気持ちが蘇り、噛み切れないホルモンをずっと口に含んでるみたいな不快感を覚えます。
だから、ここにペッ!と、吐き出させてください。
困っていたとき、助けてくれてありがとう。
でも、シングルだとかそうじゃないとか、そういうのは一旦置いといて、
ひとまず友達になってみたかったよ。
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