78.蜜蜂と遠雷 連載からの加筆・修正 64

PONTOON  2015年10月号 No.205  P134-138
熱狂の日(承前)
本 P464-469

 コンクールというのは、とても忙しいも
のだ。そこに至るまでの準備と事務手続き
が膨大なので、ようやく入口に辿り着いて
も、逆にしばらく実感がない。分刻みのス
ケジュールに乗せられ、気がつくと舞台に
あがっている。
 コンクールというのは、とても忙しいものだ。そ
こに至るまでの準備と事務手続きが膨大なので、よ
うやく入口に辿り着いても、逆にしばらく実感がな
い。分刻みのスケジュールに乗せられ、気がくと
舞台にあがっている。

 そして、やっとコンクールに参加してい
ることの喜びを実感できたと思ったら、三
次審査には残れなかったわけだが。
 そして、やっとコンクールに参加していることの
喜びを実感できたと思ったら、三次予選には残れな
かったわけだが。

 当時も似たようなことがなかったはずは
あるまい。ラフマニノフ自身、「サビ満載、
どこを取っても盛り上がる曲、プログラム
の目玉になる華やかなコンサートチュー
ン」の決定版を作りたいと思ったとしても
不思議ではない。なにしろ、彼自身超人気
ピアニストだったわけだし、キラーコンテ
ンツはいくらでも欲しい。
  当時も似たようなことがなかったはずはあるまい。
ラフマニノフ自身、「サビ満載、どこを取っても盛
り上がる曲、プログラムの目玉になる華やかなコン
サートチューン」の決定版を作りたいと思ったと
しても不思議ではない。なにしろ、彼自身超人気ピ
アニストだったわけだし、キラーコンテンツはいく
らでも欲しい。

 だから、ラフマニノフの三番を弾くのに
は、至極冷静な頭が必要である。曲の持つ
扇情的な部分に演奏者自身が乗せられ、我
を忘れてしまうと、非常に恥ずかしくバタ
バタ演奏になってしまうからだ。
 だから、ラフマニノフの三番を弾くのには、至極
冷静な頭が必要である。曲の持つ情的な部分に演
奏者自身が乗せられ、我を忘れてしまうと、非常に
恥ずかしくバタバタ演奏になってしまうからだ。

*コンサート・チューン  我ながらよく気付いたなぁと。

残7回

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?