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「つくる」の解像度をあげる

 「解像度をあげる」とは、より見分けられるようになるということだ。同じようなものと捉えていたことを明確に区別できる。理解の「密度」が高くなる。だから、言葉でより説明ができるようになる。

 それはただ単に細かいことをあげつらうということではない。区別できるようになった上で、さらに統合する。共通するところと、異なるところを比較して、区別する前の「全体」として言えることをまた生み出す。個別だけではなく、全体として解釈できるようにする。

 このことを前提として何を言いたいかというと、「つくる」ということについてだ。具体的には、ソフトウェア開発とプロダクト開発は、未分化のまま捉えることもできるし、明確に区別することもできる。

 思えば、仮説検証型アジャイル開発(正しいものを正しくつくる)とは、ソフトウェア開発(業)が育ててきた前提、認識を、プロダクト開発に移行するための手立てとも見ることができる。

 ここで、あえてソフトウェア開発業と呼ぶのは、「ソフトウェア作り」そのものはやはり「プロダクト作り」とほぼ重なり、あえて違いを見出すことへのモチベーションを奪ってしまいかねないからだ。
 ところが「開発業」、つまりビジネスとしてのソフトウェア開発(受託開発)が脈脈と培ってきた前提、認識については、明確にプロダクト開発が期待するところとかけ離れているところがある。
 単純にどちらが良い悪いの比較論ではない。ある前提、認識の下での状況・環境に対して最適化が働き、適した営みを育んできたということであり、それが別の期待とは必ずしも合致しないということだ。

 だからこそ、あえて「ソフトウェア開発」と「プロダクト開発」という区別がつくように解像度をあげる。それぞれでの営みをより適切にする、前提や認識、実践、その型について言えることを増やしていく。

 すると、小さな差異だったと思っていたことが意外と大きな違い、展開と結果に繋がりうることに気付ける。

 そして、「プロダクト開発」という営みにも「先」が存在する。いや、正確には「つくる」という行為はすでに存在しており、そこで「作り違い」の認識を増やすことができる、ということだ。それは「プロダクト開発」と「システム(系)開発」だ。

 ソフトウェア開発とプロダクト開発の違いと、移行。プロダクト開発から見出されるシステム(系)開発とは何か。われわれの「つくる」にどんな違いをもたらすことになるのか。このあたりの理解をより深めていこう。それはきっと、いまはまだ未到達のところへの入口になる。

 上のスライドで語りきれていないところはまだまだある。それらについてより丁寧に言及し、対話ができるようにしたい。そのような場を設けたので、関心ある方はぜひご参加いただきたい。そして、春の邂逅を楽しもう。


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