リモートでアジャイルをどうやるではなく、リモートだからこそアジャイル

 「リモートワークでどのようにしてアジャイルにやるか?」

 このテーマ設定に取り組む組織や現場は、従前のDX(デジタルトランスフォーメーション)の流れからこのcovid-19の発生によって、より差し迫った適応を求められたに違いない。

 リアルの場でも、噛み合った仕事になるか分からないところに、それぞれの場所も分断して、臨む。仕事の方法をより難しくして、挑戦するような感覚だ。そうした現場や組織の懸念に伴走して取り組むことに、このところ力を入れている。

 ただ、この命題を現場とともに取り組んでいると、妙な違和感を同時に覚えることがあった。いわゆる「アジャイルはやり方ではなく、あり方に本質がある」という「not do Agile, but be agile」の精神への不一致感もあるが、それだけではない気がした。

 ある時、リモートとDXの共通点に気がついた。両者とも要は「分断」を扱っているのだ。リモートは物理的な分断、DXは組織的な、方針的な分断。リモートも、DXも、人と人との分断に関する問題である。物理的な距離や時間による分断であり、組織構造による分断。DXはさらに、組織の掲げる方針や前提と、現実との分断も言える

 思えば、アジャイルも、いやその源流の一つであるXPエクストリームプログラミングも、人と人との分断に向き合うものではなかったか。作り手と利用者という役割による分断、仕事を頼まれる側と頼む側という立ち位置による分断。その分断があまりにも無様な仕事へと繋がってしまうために、あり方とやり方を変えようというムーブメントであった、と私は覚えている。

 XPが掲げていたあり方は、5つの価値で成り立つ。すなわち、コミュニケーション、シンプリティ、フィードバック、勇気、リスペクト。この5つの価値を、リモートに対して、あるいはDXに対して、あててみて考えてみる。XPは分断に向き合う姿勢だった、だからリモートやDXにも適合するはずだ。

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 XPへの懐古的な話がしたいわけではない。ただ、そういえばあのときも「どうやったら、このわからなさ加減をどうにかできるのか」に一心不乱に、それでいて楽しみながら挑んでいたということを、鮮明に思い出すのだ。時を超えてやってきた記憶が、あのときともにあった先達たちや仲間のことまで思い出させてくれた。

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