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[読書感想文] 季刊 民族学 vol.187 - 境界をゆきかう日系人

国立民族学博物館、通称「みんぱく」の友の会に加入していると、この「季刊 民族学」が定期的に送られてくる。

ものすごくしっかりと作られた雑誌で、これを単に読み飛ばすのはもったいなさすぎるのでちゃんと感想を書いてみることにする。

ただ、ほんとにしっかり作られている上に自分が歴史や地理に疎すぎるのでどれもこれも難しい内容だから感想もとてもへぼっとしたものになってしまうけども。

今季号は日系人特集。日系人という言葉は知っていたけど、それが何を意味するかというのはしっかりと理解できていなかったと思う。少なくとも、記事で語られていることのどれかを以前から知ってたかと聞かれると、自信を持ってどれも知らなかったと言えるくらいには知らない!

「日系人」の変遷とnikkeiの意味

日本からハワイやブラジル、アメリカ、カナダなど海外に移住した人たちの子孫が日系人というのが自分の認識だったが、実は明確な決まりがあるわけではないらしい。

そして日系人、日系、nikkei、日系社会、日系コミュニティなど、表現される形でそれぞれどのような人々を表しているのか結構違うらしい。

「日系一世」というと、移住先で生まれた人たちかと思っていたが、元々の定義では、一世は移住した人々を指すので血に関しても(基本的に)100%日本人となる。そして一世の子どもたちが二世になる、と。

つまり日系一世は単に海外に住んでいる日本人なので、例えば自分の友人一家も今はアメリカに住んでいるので日系一世と言えてしまうし、その子どもたちは二世になる…のか?なんか違和感がある。

と思ったらどうやら外務省でも特にルールを決めていないらしい、というか決まっているけど結構変わったりしていて、定義がふわふわしている模様。海外での日系人の数はカウントされているけど、単にファミリーネームに日本人のものがあるものを数えた、みたいな、素人でも首を傾げる事態もあったり。

2001年のPan-American Nikkei Conventionで日系人自身がたどり着いたnikkeiの定義は;

A Nikkei is anyone who has one or more ancestors from Japan, and/or anyone who self-identifies as a Nikkei.

とのことなので、アルファベットのnikkeiは移住した本人たちは含まず、あくまでもその子孫となり、且つ自分たちがnikkeiであると認識する人たちがそれに該当する、と。まあこっちの方がしっくり来る気がする。

ただ、住民票とか戸籍とかそういうのがある/ないは定義に入らないというのはちょっと驚き。

また、日系コミュニティには、もちろん日系人ではない人々も含まれるので、単に「日系」と言ってもなかなか複雑… 少なくとも、外部の人が気軽に使える言葉ではないなぁ。

重層的な記憶の場へ - サンパウロ東洋街の発展と変容

ブラジルサンパウロ市には日本人街があるらしいが、ここもコロナで打撃を受け、ニューノーマルでのイベントを模索している。

ブラジルのコロナ禍についてのニュースなら調べたらわかると思うが、ブラジルにおける日系人コミュニティの状況というのはこの雑誌でしか情報得られなさそう。自分の役に立てられるかどうかはともかく、貴重だー。

「帰国」の先にある日常と未来 - 日系ブラジル人の子どもの教育

2007年には日本に31万人いたブラジル国籍者が、2022年には20万人になった。これは2008年の経済不況と、最近のコロナ禍の影響。

で、これに翻弄されたのが子どもたち。ブラジルにいつ戻るか、本当に戻るかわからない中でポルトガル語の教育をさせるには経済的にも時間的にもしんどく、結局予定が変わって早めにブラジルに戻ることになった子供がポルトガル語を学びきれず、中学生なのに小学生と混じって勉強することになったりして、結局ブラジルでも日本でも大学に行けず、学歴社会が進行しているブラジルでは就職できないため、日本に「帰国」して「外国人労働者として」ライン工をしているらしい。そりゃ、自分のアイデンティティに葛藤するよな…

また、ブラジルにいる日系人コミュニティが日本語学校で日本の伝統行事を行ったりしているが、日本に住んでいた子どもたちから見ると古臭いものになってしまっているとのこと。伝統行事はだいたい古臭いものだからこれは仕方ないところではある。確かに自分がカナダ在住時に日本人コミュニティでお手伝いしていたときもいわゆる日本文化的なアクティビティが多かった印象(既に二十代後半だったし、古臭いとは思わなかったが…)

「終活」や「総活」に挑む日本在住の日系人たち

日系人が多く住んでいるのはブラジルとハワイ。だが3番目は日本。というのは日系人がデカセギをしに来日しているため。(出稼ぎはポルトガル語でもデカセギで通じる)

1980年代からデカセギが起きていて、当初は「デカセギか定住か」つまり、お金を稼いでブラジルに戻るか、そのまま日本にいるかだったが、日本に来て何十年も経つ今では「定住か永住か」という問題になってきている。

また、在日日系人の高齢化に伴い、終活と墓活の問題も出てきている。基本的にお墓はブラジルにあるが、もちろん好きなときに好きなところで死ねるわけではないため、日本で亡くなってしまった人の遺骨をブラジルまで運べないという問題があったりする。

踊るミグリチュード - ハワイ沖縄系移民のエイサーにみる災いと幸い

「ポルトガル、ネイティヴ・ハワイアン、オキナワン、チャイニーズ、アイルランド、スコットランド」のバックグラウンドを持つ沖縄系六世の子供が生まれた、という序文だけでもう盛り上がりがすごい。しかも昔から名前の一部に「鄭」が入った一家だったため、鄭愛=テイアという名前になったという、それだけで六世までの歴史を感じさせる… なんというか家族感がすごい。

沖縄からハワイへの移民開始は1900年で、現在約4万人が沖縄に繋がりを持つ。

鉄条網のなかの盆踊り - アメリカ強制収容所の日系人と音楽・芸能

どこの展示だったか忘れたが、強制収容所内で作られた人形とか、戦争開始時に日本人に向けた出頭案内チラシとかを見た記憶がある。この記事を読んでいてそれを思い出した。

真珠湾攻撃の時点でアメリカに住んでいた日系人は28万5000人で、その2/3は二世だった。

そんなにいたのかと驚きだが、移民自体は1868年に150人がハワイに行ったことが始まりで、そのあとハワイがアメリカに併合されたりしている間も増え続け、1910年の段階で全米で15万人以上になっていたらしい。

日系人の人々は真珠湾攻撃直後は日本語の手紙など、怪しまれそうなものをことごとく処分したが、収容所に入ってからはもはや怪しまれるという事態が起きないために特に文化統制が加えられず、そしてこれまでの仕事がなくなったため一気に音楽・芸能活動が活性化したとのこと。映画の上映がされなくなったから歌舞伎人気が再燃したとか、つまり収容所のおかげで文化が盛り上がったというのは事実なのか。強制収容はアメリカが謝罪した負の歴史ではあるが、これは興味深い現象。

更に、アメリカ政府としては収容所内の日本人をアメリカ化したかったため、アメリカ文化の奨励もしており、その一環でジャズの人気が高く、様々なチームが生まれたらしい。

南カリフォルニアの「日系企業城下町」

これまでの移民とは違い、カリフォルニアのサウスベイには日本人コミュニティがありはするが、これは移民によるものではなく、日本製商品の人気が出て、更に貿易摩擦と円高のせいで輸出よりも現地生産にシフトして工場を作り、駐在員を派遣し、その家族も住み始め、その生活を快適にサポートするためにサウスベイに「疑似日本」、つまりスーパーでは日本の食材が普通に買えるし、本屋でも日本の本があり、100円ショップもあり、日本人の美容師などもいる状態が構築された。

ただ、他の日系人たちの問題と同様、高齢化問題があり、アメリカには日本人高齢者用の介護施設がなく、医療費も高いのでそのために帰国する人々も増えているらしい。

軍靴からサンダルへ - 日系インドネシア人一世の生涯

インドネシアにも日系人はいるが、これはハワイ・ブラジル系でもサウスベイ系とも違るとのこと。移民でも駐在員でもなく、戦争後の残留兵がそのまま一世となったもの。更に数としては2000人程度であったため、コミュニティが形成されるほどではなかった。一世はインドネシア語を学べる環境にはなかったので流暢ではないまま生涯を終えたりした。二世には日本語を教えることもなかったが、日本の文化や日本人とはというものは教えてきた。一世同士で集まり、日本語のやり取りを楽しんだ。

更に敗戦国の残留兵ということ、インドネシア側も日本に占領されていた過去などがあり、負の要素が強く、総数も少ないためにあまり歴史に記されてきていない模様。だが、「日系人」は様々なタイプがいるという学びになる。

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