ワタシは子に選ばれた。
『子どもは親を選べない』
以前はこの言葉をよく耳にしていたし、「そりゃそうだ」とも思っていた。
そう思っていたが
『子どもは親を選んで生まれてくる』
親になった今、ワタシにはこっちの言葉の方がとてもしっくりきてる。
いつかもし、子どもたちにこのことを話したら
「え〜、選べるならもっとハンサムなパパが良かった!」(失礼な!)
「え〜、もっと何でも買ってくれるパパの方が!」(すまん!)
「え〜、もっとスポーツ万能なパパの方が!」(そう言われても!)
散々な返答が返ってきそうだが、ワタシには確信できる。
言葉ではそう言ってきたとしても、子どもたちの笑顔を見れば確信できる。
- このママとパパのところに行けば何だか楽しそう、たくさん笑えそう -
そう思ってきてくれたに違いない。
悲しむ為でもなく、怖がる為でもなく、寂しさを感じる為でもなく
笑顔になる為に我が家を選んだ。
いつも見せてくれるあの無邪気な笑顔は、その期待に答えることができた証拠なんだと。
心からそう確信できる。
おそらく、子どもたちのこの『何だか楽しそう、たくさん笑えそう』という思いはずっと変わらないはず。
変わるとしたら大人の方。
誕生を喜んだはずの我が子を「忙しい」と言っては相手にしなかったり
ニコニコしていたはずのママとパパがイライラしてたり
勝手に描いていた子育ての理想と現実のギャップに落ち込んだり。
『子どもは親を選べない』わけではない。
きっと選んでくれた。
選べないのは、その後の愛され方。
ワタシには子どもたちの期待に応える責任がある。
『何だか楽しそう、たくさん笑えそう』
この期待に応える責任が。
なんて言ったって、子どもたちがワタシを父親として選んでくれた。
ワタシは子に選ばれた。
『あれ?選んだ時と条件変わってる?』
そう思わせて、がっかりさせるわけにはいかないのだ。
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