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やっぱり書き続けている意味がわからない

私はいったい何のためにnoteを書いているんだろう。

ついこの前そんなことをつぶやいたばかりだった。

これは、参加していることばと広告さんのメンバーシップ「書く部」のお題「#私は書いてこうなりたい」に触発されてのこと。

先日このお題で書かれたnoteをまとめられた記事が公開されたので、読んでみたらますます自分が何のためにnoteを書いているのかわからなくなってしまった。

何よりも書くことが好き
そう言い切れるほど好きなわけではない。嫌いでもないけれど。

「書く」ということに心を奪われる体験があった
いや、ない。子供の頃は作文が大嫌いだった。それが好きに転換してしまうようなできごとは特になかった。

作家、物書きになりたい
物書きでお金を稼げるようになれるならなりたいものだけれど、なりたいという強い思いがあるわけではない。

自分のこと、自分の思いを知ってほしい。
わざわざnoteのようなSNSで書いているわけなのでそういう側面も少しはあるかもしれないけれど、その割には、心の奥底のドロドロした部分をさらけ出しているかというと、そんなことはない。

noteを頻繁に書くようになったきっかけは、どちらかというと自分の意見を表明せず黙々と生きていきたいタイプだったものを、自己研鑽的な意味合いでアウトプットする習慣をつけようと考えたこと。

アウトプットする習慣をつけるのであれば、別に文章でなくても良かったはず。ましてやnoteである必然性もなかったはず。

それなのに、週に何回かはnoteをしたためている。

いったい何がそうさせているのか。自分は何のためにnoteを書いているのか。ますますわからなくなってきた。

しばらくの間は、この問題を抱えてもんもんとしながらnoteを書くことになるんだろう。

でも、もんもんとしながらでもnoteを書き続けているということには、きっとその原動力となるものがあるはず。

書き続けているうちにそれが何かわかるのかもしれないし、何もわからずじまいになるかもしれない。

それでもいいじゃないか、と割り切れるほど、なぜか今日の私の心はおだやかではない。

結論を見出せないまま、今日は筆を置いて眠るとしよう。

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