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穏やかな暮らしを望むのは、まだ早いですか?

自分に直接かけられたわけではない、心ない言葉。

その対象が自分でなくても、”痛み”とまではいかないものの、なぜか心がうずく。

心ない言葉じゃなくても、スパルタ教育的な物言いもそうかな。

肉親はもちろん、親しくしている人、お付き合いのある人、所属しているコミュニティなど、何らかの関係のある人やグループに対するものだと特に反応する。

特別、他人に関する共感性が高いわけでもなく、どちらかといえば他人と関わるのはあまり得意じゃなくて一人でいることの方が多いタイプなのに、自分でも不思議だ。

子供の頃からそうだったっけと振り返ってみても、それらしき記憶はでてこない。ただ、近しい人が調子が悪いと、励ましてあげるというよりは自分も同じように落ち込んだような陰鬱な気分になる、という傾向はあった。

そんな人、他にもいるのかな?

勝手に引き取って、勝手に少し落ち込んで、いつまでもその言葉が心から離れないって、すごく損をしているんじゃないかと思う。

何か言われたら、感情的になってその倍くらい言い返して、言い返した後はすっきりしていつもの自分に戻って楽しくやっている人、ときどきいる。

そんなふうに切り替えられるなら人生楽だろうな、と思うけど。

でも、やっぱり口論とかいがみ合いとか高圧的な物言いは、ない方がいいよ。

穏やかな時間の流れる中で、穏やかに暮らしていく。
それじゃあダメですか?人間的に成長しない?

ひょっとしたら、自分がそろそろ”隠居”してもおかしくない世代に近づいているからそう感じるのかもしれない。若いうちから、人間的な成長はいらないから穏やかな生活を、なんていったら、バカにされるかもね。

作りたいパンを作って、食べたいという人がいたらコーヒーと一緒に出してあげて、とりとめのない話をひとしきりして一日を過ごす。

さて、明日はどんなパンを作ろうか、と、明日の準備を終えたら、少しお酒でも飲んで、いい頃合いになったら床につく。

人生の終盤は、そういう暮らしをしてみたいもの。

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