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幼いころの娘の手を引いて長い階段を昇った記憶

小学校三年生の娘は同級生の友達を時々家に連れてくるのだけど、これまでは女の子の友達を連れてきていたのだが、先日初めていつもの女の子たちに交じって男の子の友達を連れてきたらしい(僕は不在だった)。

妻曰く、いつもの時に比べてその男の子が来た時のテンションがいつもの五倍くらいでめっちゃはしゃいでいたそうだ。自分は小学校三年生の頃に女の子の家に遊びに行ったことはあっただろうか?そのうち娘も男の子の家に遊びに行ったりするんだろうか?たくさんの「はじめてのこと」をこれから経験していくのかと思うと、自分に照らしてなんだか不思議な心地になる。

あと半年もすれば小学校四年生になり、きっと今よりももっと成長して生意気な口がもっと生意気になるだろう。幼かった頃のことはすっかり忘れてしまったけれど、久々にバンドの過去の曲を聞くと「感情の手触り」のようなものがよみがえってくる。

歌詞の一節はそれ以上でもそれ以下でもないのだけど、歌詞が生まれるまでのいろいろ入り混じった思いは歌詞として結晶化していて、歌詞になっていなければもうすっかり忘れ去っていただろう感情と思われる。と思うと、娘が初めて男の子の友達を家に連れてきたというのを聞いた父親としての思いも、歌詞にしておけばその時の感情も数年後によみがえらせることができるだろう。

幼いころの娘の手を引いて長い階段を昇った記憶、怖がりながらもどんどんと上がる娘はそのうちひとりで階段を昇るようになり、そのうち体力差も出てきて勝手にひとりで昇っていくだろう。以前まで自分は子供の立場しか知らなかったが、今は親としての立場もわかる。一直線に見える人生も、子供の視点を通して重層化するように思われることが最近よくある。

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