歌詞の出処をいつも探してる

PAPA FRUTASの楽曲で紡ぐ歌詞、どこからやってくるのだろう?といつも思っています。

「くだものがかりのテーマ」「タイに行ったアイツ」の2曲は「オリジナル曲作ろうよ!」といったノリの勢いそのままに、とめどなくあふれるように出てきたんです歌詞が。それまで歌詞を書く、みたいなことをしてこなかったビギナーズラック的な「あふれる」でしたが、その後そういう風にはなりません(またあるかもですが、それは再現するものではありません)。

その後の習慣として「歌詞アンテナ」なるものを日々張るようになり、「あっこれ歌詞にいいんじゃないかな」と、浮かんだフレーズの気付きをできる限り書き留めたり、浮かんだフレーズは伸ばしたり縮めたり歌ったり置き換えたりしてみます。

そのストックを時にようへいメンバーから送られてくる楽曲イメージに合わせてみたり、逆に「こんな歌詞ができたよ」と送ったりします。そこでようへいメンバーとやりとりがあって、次第に曲は作られていく、という感じ。


いちばん最初にフレーズが浮かんだ時は、まるで身体の一部がこぼれおちたような感覚があります。すごく身近なものとして生の状態でフレーズがある。それを歌ってみたり曲に乗せてみたり、次第に楽曲として整っていくことで自分から離れていきます。今回アルバムを作ったことで、そのアルバムに入っている楽曲は、もちろん歌えばすぐ身近にある曲ではあるのですが、最初の頃に比べれば随分遠いところに行ってしまったような感覚があります。

それってちょっと子供に似ています。本当にすぐ身近にいた子が、成長と共に少しずつ離れていく。自分の娘はダンスを習っていてやればやるほど上手になり発表会で踊ったりして、ステージで照明浴びて楽しそうに踊っているその姿に「成長したな」という親としての感慨めいたものを感じると同時に「成長してしまった」という寂しさを感じます。ずっと同じ場所に留まることは決してないのはわかっていながらも、どこか「そのままでいてほしい」という思いも同居していたりします。

この週末に帰省し、その帰りにバスに乗りながらアクアラインを通っていたのですが、空がすごくきれいでそれだけで心地が晴れ、シートで改めてようへいメンバーから送られてきた楽曲案を聞くとこれまた違った風に聞こえてきて、また全然違う歌詞が浮かんできます。それが果たして楽曲として結晶するかどうかはわかりませんが、なんだかよいものになりそうだという予感めいたものはありました。

あとは黙々とそのアイデアと向き合ってうんうんと唸ったり、あるいはパカーンと能天気になる、もっとお酒とか飲んじゃう。どちらかといえば後者をより不真面目にやった方がいいのができるんだなきっと。飲み過ぎた頭で作っているうちにどこからか小人たちが現れて、次の日の朝になったらすっかり歌詞が出来上がっている、みたいなやつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?