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アメリカにおける人種差別問題をヨーロッパの歴史、宗教から考えてみた

奴隷制度は古代ギリシャ、ローマ時代からあったが、それは戦いに敗れた国の戦争捕虜が、労働力として使われたものである。最も大規模な事例が、国家が商取引の事業として関与した、大西洋奴隷貿易である。15世紀末から始まったヨーロッパの大航海時代が発端である。

1492年コロンブスがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパは国家規模で、奴隷市場、奴隷貿易を始める。16~18世紀に、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、 スウェーデン等ヨーロッパ諸国は、約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象とした大西洋奴隷貿易を行ったのである。

イギリスは、1672年に奴隷貿易独占会社である王立アフリカ会社を設立した。フランスとの抗争で北米大陸の植民地を拡大しながら、スペイン継承戦争の講和条約であるスペイン領への黒人奴隷供給契約を獲得し、新大陸の黒人奴隷貿易を独占した。

18世紀にはイギリス製品の武器や綿織物をアフリカに運び、アフリカから黒人奴隷をアメリカ植民地・西インド諸島(カリブ海、メキシコ湾の島々)に送り、労働で得られたタバコ、砂糖、コーヒーを本国イギリスに運び、莫大な利益を上げていた。いわゆる大西洋三角貿易である。

19世紀にはインド、清と三角貿易を始め、紅茶がブームとなった。イギリスのアフタヌーンティーの発祥である。現在、アメリカでの人種差別抗議デモ波及でイギリス奴隷商人の銅像も破壊されているが、次に破壊すべきは茶器であろう。もちろん皮肉ですが。

日本人の感覚で言うと同じ人間なのに、完全に商品、モノとして奴隷を扱っている当時の欧米人の感覚が理解できない。実際、織田信長は、ポルトガル商人から黒人奴隷を献上されるが、彼を武士、家臣として取り上げ、弥助と名付けた。信長は、奴隷という概念はなく、ひとりの人間として純粋に彼の身体能力等に畏敬の念を抱いたと想像する。

では、なぜ欧米人は、奴隷という非人間的扱いを容認出来たのか。そこにはユダヤ教、キリスト教という宗教が関わっている。

イスラム、ユダヤ、キリスト教の根っこは同じです。発祥が砂漠の地で、一神教で戒律が厳しい。基本的に砂漠の論理。自然条件が厳しいので、僅かなことが命に関わるからである。例えば砂漠で迷った人が水をくれと来たとしよう。しかし、水をあげると自分たちの命が危うくなる可能性がある。なので応える訳にはいかない。厳しい戒律は厳しい自然条件の賜物です。日本のような穏やかな気候、四季があり、水も豊富な国とは思想が違います。

特に旧約聖書のユダヤ教では、唯一神との契約があり、それを守ることが使命となります。自分たちは、神から選ばれた民という選民思想が根底にあります。

そもそもイスラエルの民は、エジプトにおいては奴隷でした。ですから、エジプトから脱出した後、同胞を奴隷とすることを禁じた。「もし同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年まであなたのもとで働かせよ」(レビ25・39ー40)しかし、奴隷制度を廃止することはしなかった。「あなたの男女の奴隷が、周辺の国々から得たものである場合は、それを奴隷として買うことができる。彼らをあなたの息子の代まで財産として受け継がせ、永久に奴隷として働かせることもできる」(レビ25・44ー46)

このユダヤ教旧約聖書の思想に近いキリスト教徒であるピューリタン(清教徒)が、1620年新大陸アメリカに渡ります。ですので、アメリカ建国の思想が奴隷容認だったのです。そもそも、旧約聖書にも新約聖書にも、奴隷制度は反福音だという認識は全くありません。そのような認識が生まれるのは、近代に入ってからです。

1776年アメリカ独立宣言には、基本的人権や全ての人間は平等という言葉がありますが、宣言における「人間」には、先住民のインディアンや、黒人奴隷は、含まれていない。そもそも人間は、白人キリスト教徒である「人間」と、有色人種の異教徒である「非人間」の2つに分けられていると考えられた。それゆえ、宣言における権利は、人間一般の権利ではなく、インディアンや黒人を「人間」とみなしていなかった。

独立戦争の指導者ワシントンやジェファーソンは、後に合衆国大統領になるが、自身の農園では黒人奴隷を使役していた。1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法にも、黒人奴隷の解放は規定されておらず、権利も認められなかった。

1807年イギリスが奴隷貿易を禁止し、1833年に奴隷制度を廃止した。しかし、世界的な奴隷貿易や奴隷制度が終わったわけではなかった。キューバとブラジルの砂糖プランテーション、アメリカ合衆国南部の綿花プランテーションにおいて、黒人奴隷供給は19世紀後半まで続いた。それらは密貿易として行われたので、18世紀の奴隷貿易よりも悲惨な状態となった。大西洋奴隷貿易が姿を消すのは1865年アメリカの奴隷解放、1886年キューバ、1888年ブラジルにて実現した奴隷制度廃止によってであった。

欧米は、実に400年近くに渡り、アフリカ大陸の資源、労働搾取を行い、植民地支配を実行した。その犠牲の上に今日の繁栄がある。この歴史は半端ない。旧約聖書、新約聖書の解釈を奴隷容認の根拠として、延々と搾取した事は罪深いと言わざるを得ないが、時代がそうさせたとも言える。今日まで続く根底にある無意識は、簡単に変えられるものではない。いくら人種差別を想起させる地名、名称、人物像、メディアを抹消しようとしても、この歴史を到底消す事は出来ない。


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