光について思うこと
自然光が好きだ。
光ってきれいだなって思う。
きれいなものってだいたい光ってる。
「キラキラしてる」っていうしね。
身近にありすぎて簡単に見過ごしてしまうけど、光って本当にきれいだ。
自然光がきれいなのって、それが自然だからだろう。
人口の光は、目的があって光ってる。
でも自然の光は、目的がない。
意味がないってとても純粋だ。
「ただ光ってる」って、こんなにきれいなことがあるだろうか。
光が織りなす世界のキャンバスには、意思があるようにも思える。
無意思という意思が。
無意思が意思的に「そのようにしている」という感覚がある。
あるものが、あるべきところに、ちゃんとある。
光があり、影があり、動きがある。
色があり、角度があり、強弱がある。
それらは現にそうであるという絶対性をもって、そのようにある。
それ以外の可能性のどれでもなく、現に、今ある形で、そこにある。
人智では捉えられない意思が、人智を超えて働いている。
そう思える。
その意思のことを人は神と呼んでいるのかもしれない。
神様なんて、絵空事かと思ってた。
ありもしない話だと。
だけど光の中に、神が見え隠れする。
なぜこのような光を、なぜこのような角度で投げかけたのか。
なぜこのような色と影を演出したのか。
それは神のみぞ知る。
シャッターは切るというより切らされている。
それもきっと、神の意思。
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