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イベントで活性化

イベントで地域を持ち上げることができるのだろうか。「活性化」にどれだけ効力を発揮できるものなのか。
この40年、イベントを企画し実施してきて疑問が生じ、この数年は「非・イベント型」の活性化策を企画し、実験している。

今はアートフェス、ハンドメイド・マルシェなどと呼称されるイベント形式の創世記から20年以上、連続開催して、最盛期には2日で来場者8万人を動員したこともあるが、だからといって、イベントが終わった後に残るのは、ただの寂しい再開発地で、年に1回の開催で何になるのだろうと思ったし、海岸の岩場に特設ステージを組んで世界中からアーティストを集めて、そなりに評判になるんだが、その効力も数年と保たない。同様に海沿いの大型倉庫で、アートと音楽のフェスを開催して、当時の情報誌「ぴあ」の年間2位になっても、やっぱり日常的な賑わいは創生できず、あの予算はなんだったのかと

自分で、自分がやってることに疑問を持つようになった。

それぞれの現場で活躍する仲間も、同じような虚しさを抱えていた。でも、イベント自体がそれなりにヒットしていると、主催者、特に役所の担当者は、イベントを止めたがらない。むしろ、強く反対する。イベントが成功していれば、日常がどうあれ、役所としては活性化に手を打ち、それなりに成功していることになるからだ。だいたい、商店街の振興担当が「商店街で買い物をしたことがない」が役所の現状。つまり、さびれゆく日常を体感することがないのだ。

公金はイベントに費やされる。でも、商店街や過疎の村は下り坂のまま。役所は「手は打ってるんですけど」ということになる。つまり「いいわけ」にできるわけだ。

僕は、この流れの中で「戦犯」になるのは避けたいと思った。もちろん、大小100以上のイベントを立ち上げ、コンサートだけでも200本以上を立ち上げてきたのだから、僕も「無罪」というわけにはいかない。

だけど「イベントたってればOK」みたいなことも、この国を沈める圧力になっていることは間違いはない。現に地域は活性化せず、すでに矛盾の溜まり具合は水準を超えていて「闇市からのやり直し」は間近に迫っている。

そういう状況。

言っても聞かないんだから致し方ないと、判っていて「これまで」を続ける人に、僕はなりたくなかった。

正解はわからない。前例もない。だけど、商店街や地域の日常の魅力を、そのままに磨き、ことさらに発信しなくても、知らず知らずのうちに人が集まり、訪れ、宿泊していく。SNSがある時代はイベントという非日常をメイキングしていくのではなく、豊かな日常をメイキングしていくことだと思う。

(メイキングできれば、誰かが発信してくれる)

商店街の一角にある小さな劇場が旅芸人の一座のフランチャイズになったことから、商店街の有志が、彼らの指導を受けつつ、自らが役者となって、小さな劇団をつくったという事例がある。日頃、彼らは店頭に立っているのだから、彼らの芝居興行は商店街の日常にサスティナブルだ。

こういう感じも、一歩前進という気がしている。

僕は、もっともっと日常から始めたいと思っている。

今は「どんなことなら、効果が得られるのか」考えては事業にまとめて実験を。なかなか先は見えないけれど、だいたい新しいことをはじめるときは、こうだ。確立されてる前例があるわけじゃないからね。アートフェスにしても当たりが見えてくるまで5年はかかった。

近々「数日の非日常をメイキング」型は終わるだろうと思っている。実質的にもう、終わってるもん。この時代、「よさこい」にしろ「一箱古本市」にしろ「マルシェ」ものにしろ、ほどなく二番煎じで、この国中が満たされる。だから消費者には飽きられもしている。

これから「近く終わる」ものを始める必要はない。次を考えなきゃ。